家基を産んだ功績と晩年
家基は将軍家治の世子(後継者)として育てられ、御台所・倫子の養子として正式に家族として迎え入れられました。しかし、家基は明和6年(1769)に西の丸に入り将来を嘱望されたものの、安永8年(1779)、わずか18歳で急逝……。この早世により、家基は「幻の十一代将軍」とも呼ばれます。

知保の方は、家基出産の功績により「老女上座」という高い格式を与えられました。その後、寛政3年(1791)3月8日、55歳で没し、法号は蓮光院とされました。
まとめ
知保の方は、将軍家の血筋を残すという重い使命を背負いながら、それを果たした女性です。家基の早世により「幻」となった夢ではありますが、知保の方が残した足跡は、確かに江戸幕府の歴史に刻まれています。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『日本人名大辞典』(講談社)
