松平定信の改革を風刺し、幕府に弾圧される

寛政の改革を進めた老中・松平定信の政策は、厳しい倹約令や文武奨励などを推進し、庶民の娯楽や風刺文化にも厳しい目を向けるものでした。

寛政元年(1789)、恋川春町は『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』(出版者は蔦屋重三郎)を発表。この作品は、松平定信の改革政策を痛烈に風刺したもので、大ヒットを記録しました。

しかし、幕府はこの内容を問題視し、恋川春町に出頭命令を出します。

寿亭主人 著 ほか『鸚武返文武二道 : 3巻』,[蔦屋重三郎],[寛政1(1789)]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9892636

謎に包まれた最期

幕府からの召喚命令を受けた恋川春町でしたが、春町はこれに応じることなく、寛政元年(1789)7月7日、46歳で急死しました。その死には諸説あり、自殺説も有力視されています。

主家に迷惑がかからぬようにする配慮と、実直な能吏であった養父との折り合いの悪さを原因に、自ら命を絶ったとも言われています。藩の公式記録では「病死」とされていますが、果たして真相はどこにあったのでしょうか。

まとめ

恋川春町は、江戸後期の文化の発展に大きく寄与し、黄表紙というジャンルを確立しました。春町の作品は、当時の世相を鋭く風刺しながらも、軽妙洒脱な語り口で読者を楽しませるものでした。

しかし、その自由な発想と風刺精神は、幕府の厳格な統制の下で危険視され、最期は謎めいた結末を迎えました。それでも彼の作品は、江戸時代の町人文化の豊かさを象徴するものとして、今なお評価されています。

恋川春町の創り上げた黄表紙の世界は、彼の死後も受け継がれ、後の時代の文学や風刺文化に影響を与え続けました。彼の人生は短かったものの、その功績は、江戸の文化史に燦然と輝いているのです。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)

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