はじめに―菅原孝標女とはどのような人物だったのか

菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は、平安時代中期の女流文学者であり、名作『更級日記(さらしなにっき)』の作者として知られています。彼女の実名は不詳ですが、父は菅原道真の五世孫である菅原孝標、母は藤原倫寧(ふじわらのともやす)の娘です。

『蜻蛉日記(かげろうにっき)』の作者である藤原道綱母(みちつなのはは)の異母妹にあたります。学問と文学に縁の深い家庭環境で育った彼女は、その才能を開花させ、多くの文学作品を残しました。そんな菅原孝標女ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。

2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、『源氏物語』を暗唱するまでに読み込む女性・ちぐさ(演:吉柳咲良)として描かれます。

菅原孝標女

目次
はじめに-菅原孝標女はどのような人物だったのか
菅原孝標女が生きた時代
菅原孝標女の足跡と主な出来事
まとめ

菅原孝標女が生きた時代

菅原孝標女が生きた平安時代中期は、貴族文化が最盛期を迎えた時代でした。藤原道長が権勢を振るい、宮廷では和歌や物語文学が盛んに創作されていました。『源氏物語』や『枕草子』といった名作が生まれ、人々の間で物語を読むことが流行しました。女性たちも教育を受け、文学作品を通じて自己表現を行うことが可能だったのです。

菅原孝標女の生涯と主な出来事

菅原孝標女は、寛弘5年(1008)に生まれ、没年は不詳です。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

幼少期と上総での生活

寛弘5年(1008)、菅原孝標女は京都で生まれました。父・孝標は学問の家系である菅原氏(道真五世の嫡孫)の一員でしたが、大学頭や文章博士といった高位の官職には就かず、受領(ずりょう)として上総介や常陸介を務めました。母は藤原倫寧(ふじわらのともやす)の娘です。

寛仁元年(1017)、彼女は9歳で父の任国である上総国(現在の千葉県中央部)に同行します。自然豊かな地方での生活は、彼女の感性を豊かにし、物語への憧れを育みました。

夢多き少女時代と帰京

寛仁4年(1020)9月、12歳で京都に戻った彼女は、憧れていた物語を読むことに熱中します。特に『源氏物語』に深い感銘を受け、夢見がちな文学少女として成長しました。しかし、その一方で物語の世界と現実とのギャップに悩むこともあったようです。

源氏物語図扇面(空蝉)
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-346-1?locale=ja

宮仕えと結婚。次ページに続きます

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