将軍継承の行方と家基の死
家基の早逝により嗣子がなくなった家治は、天明元年(1781)、三卿の一橋家から家斉(いえなり)を養子として迎えます。その後、天明6年(1786)に家治が死去。
翌年から、家斉が江戸幕府11代将軍として幕府を率いることとなったのです。
まとめ
徳川家基は、文武に秀でた将来有望な人物でしたが、若くしてその生涯を閉じました。その死がもたらした影響は、幕府の後継問題に直結し、一橋家からの養子・家斉が11代将軍となるという大きな変化をもたらしたのです。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『日本人名大辞典』(講談社)
