はじめに―藤原道雅とはどのような人物だったのか
藤原道雅(ふじわらのみちまさ)は、平安時代中期の貴族であり、優れた歌人としても知られています。中古三十六歌仙の一人に数えられ、その歌才は高く評価されているのはご存じの通りです。
しかし、その生涯は波乱に満ちており、皇女との密通事件や粗暴な振る舞いから「荒三位(あらざんみ)」と呼ばれることもありました。藤原伊周(これちか)の子・道雅は、実際にはどのような人物だったのでしょう? 史実をベースに紐解きます。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、藤原伊周の子として父に反発する人物(演:福崎那由他)として描かれます。
目次
はじめに-藤原道雅はどのような人物だったのか
藤原道雅が生きた時代
藤原道雅の足跡と主な出来事
まとめ
藤原道雅が生きた時代
道雅が生きた平安時代中期は、藤原氏が朝廷の実権を握り、その中でも藤原道長が絶大な権力を持っていました。しかし、一方では道長の権力集中に対して反発する者も存在します。中関白家の嫡流である伊周はその代表的な存在でした。貴族間の権力闘争が激化する中、道雅の生涯もまたその渦中にありました。
藤原道雅の生涯と主な出来事
藤原道雅は、正暦3年(992)に生まれ、天喜2年(1054)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
伊周の子として誕生
正暦3年(992年)、道雅は藤原伊周の子として生まれました。母は源重光(みなもとのしげみつ)の娘で、幼名を松君といいます。なお、この幼名は、『枕草子』にも登場します。
彼の家系は中関白家の嫡流であり、将来を嘱望される存在でした。
若くしての昇進
寛弘元年(1004)、道雅は13歳で叙爵し、その後、蔵人や東宮権亮などの要職を歴任しました。左近中将にも任じられ、長和5年(1016)1月には従三位に昇進します。
三条院皇女前斎宮当子内親王との密通事件
しかし、長和5年(1016)冬、道雅は三条院皇女前斎宮当子内親王と密通する事件を起こしました。このことで、三条院から勘当を受け、彼の政治的な立場は大きく揺らぎます。
【「荒三位」と呼ばれる粗暴な振る舞い。次ページに続きます】