文/鈴木拓也
電車の中で本を開いていて、ふと周囲を見渡すと、本を読んでいるのは自分だけという光景が当たり前になって久しい。
当初は、「なぜみんな、スマホを一心に眺めているのだろう?」という疑問から一転、最近は逆に、「なぜ自分だけが本を読んでいるのか」と考えるようになった。この自問に明確に答えるのは意外と難しく、そのたびに思考停止に陥ってしまう。
先日、そうしたモヤモヤした気持ちに一条の光を射す1冊に出合った。
それは、書評家として活躍する印南敦史さんの新著『現代人のための 読書入門 本を読むとはどういうことか』(光文社 https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334104443)だ。
読書によって「いつか役立つ知見」を蓄える
「本が読まれなくなった(売れなくなった)」と方々で言われるようになってから、およそ30年が経った。
その原因の1つは、間違いなくインターネットの隆盛に求められるだろう。ほぼ無料で気軽に情報を得られる利便性を知ってしまえば、本の世界からはどうしても遠ざかってしまう。
他方で、本の文化がそのまま絶滅してかまわないと考えている人は、現時点ではあまりいなさそうだ。多くの人が、心のどこかで、本を読まない自分に良心の呵責めいた感情を抱いている。そのことは、ネットニュースで「読書離れが深刻」「書店の減少に歯止めがかからない」といった記事が耳目を集めることから、なんとなくわかる。
印南さんも、インターネットの効用自体は否定しない。本人も、パソコンやiPhoneの接続が不調になると「異常なくらいに焦ってしまいます」と言うくらいだ。
ただ、今の世間は、「ベネフィット(利便性や満足感)が求められすぎる傾向にある」と警鐘を鳴らす。この傾向が最終的に行きつく先は、デジタルの情報に過度に依存し、読書は「不要」とされる世界だ。これについて印南さんは、本書で次のように語る。
しかし、そこだけに依存するのではなく、「いつか役立つ知見」を蓄えておくことも同じように大切だということです。そう考えてみれば、「即効性のない読書は無意味」という考え方が正しくないことはおわかりいただけるのではないかと思います。わかりやすさとか即効性だけに意味があるわけではないのです。(本書26pより)
本の内容は、なにも今すぐ知りたい情報だけが書かれているわけではない。しかし、当初は余計だと思いつつ読んだ中身が、後になって生きたという経験は誰しもあるはず。それが、読書を意義深い体験とするわけだ。そして、役立つ・役立たないという視点をも離れ、「浪費の読書」があってもいいと、印南さんは論じる。それは、効用をまったく期待しない、単に「面白い」からする読書体験。強いて言うなら「教養」は得られるかもしれないが、何も得られなくてもよしとする本との向き合い方だ。どちらにせよ、少なくとも「心の潤いのようなもの」は感じられる。それは、インターネットの大海からは、なかなか引き出せないものには違いない。
忙しいから読めないという発想をやめる
印南さんは、「自分の読書は正しいのか」「どう読んだらいいのか」といった質問をしばしば受けるという。
質問者は、読書には何か決まったスキルのようなものがあって、それを会得する必要があると考えているようだ。
それに対し、誰にとっても正解な読み方はなく、心地よいものであれば、それがその人にとっての「最良の読み方」だと、印南さんは答える。
もし、それで納得いかなければ、「知的好奇心」がうまく発現できていない可能性を挙げる。つまり、興味・関心の対象に対して、もっと深く知りたいという気持ちが強いかどうか。そこを意識することで、読書にまつわる悩みは消え、読書習慣の改善につながると記している。
印南さんが、もう1つアドバイスするのは、「忙しいから読めないという発想をやめること」だ。特に社会人になると、仕事が忙しくて読書どころではないということは確かにある。だがその一方で、無目的にテレビを見ている時間はなぜかあったりする。印南さんは、そこにメスを入れる。つまり、「スタートラインはテレビを消すこと」だと説く。その次のステップは、スマホとの距離の取り方となるだろうが、次のように記している。
そこで試してみていただきたいのは、自分の内部に定着している「当たり前」を排除してみることです。たとえば電車でいつものようにスマホをいじりそうになったら、「きょうは本を読んでみよう」と気持ちを無理にでも切り替え、バッグから本を取り出すのです。(本書127pより)
家にいるときも同様。くつろいでいる時や就寝前にスマホを見たくなったら、あえて本を手に取る。ただ、本もだらだらと読むのではなく、決めた時間が来たら閉じる。このサイクルを無理なく生活に取り入れることができたら、本を読む時間がないとぼやくこともなくなる。
書店を訪れ、気になる本との出合いをつくる
読書習慣を身につける別の方法として印南さんは、書店に足を運んで本を買うことをすすめる。
行く前は、どんな本を読みたいかはわからなくてもいい。とにかく店に入って目についたものをチェックする。文庫本売り場の平積みスペースを皮切りに、興味のあるなしに関係なく、ながめていく。
そうしてみて気になる本を見つけたら、迷うことなく購入しましょう。気になった、ピンときたということは、何らかの縁があったということです。もちろん、ときには失敗もあるでしょうが、選択眼は失敗を重ねてこそ養われていくものであります。(本書136pより)
訪れるべき書店は、実店舗とは限らない。ネット書店でもまったくかまわないという。印南さんは、飲み会の席などで興味が引かれる本の話題が出たときは、その場でスマホを取り出して、ネット書店でそれを購入することがあるそうだ。あるいは、古書店や新古書店でもいいし、図書館で借りて読んでもいい。そのうち洗顔や歯磨きと同じように、「やって当たり前」のこととして習慣化される。ここまで来れば、読書は人生に欠かせない楽しいものとなると請け合う。
逆に、楽しい読書習慣の足を引っ張りかねないのは、興味もないのに「“使える”本を選ばなければ」という義務感で、そうした書籍を買うことだと指摘する。何を読むかの方針は、あくまでも「読みたいものを読む」。そして、せっかく読んだのだから役に立つはずなどと、「見返りを期待しない」。終章では「楽しいだけでいい」とまで極論するが、読書好きであれば、大いにうなずける言葉であろう。
本書は、インターネットの情報が氾濫するなか、本を読むことの意義を解きほぐしてくれる良書だと思う。読書家もそうでない人も一読されることをすすめたい。
【今日の教養を高める1冊】
『現代人のための 読書入門 本を読むとはどういうことか』
文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。