敦康親王を「竹三条宮にお移し申し上げよ」の残酷
I:そうした中で、敦康親王の待遇が気になってきます。中宮彰子を母とも姉とも慕う敦康親王ですが、ふたりの仲の良い様子をみた道長は、敦康親王を「竹三条宮にお移しもうしあげよ」と行成に命じます。
A:ここは、密やかに「ブラック道長」を挿入してきたゾクゾクする「名場面」です。竹三条宮は、皇后定子が敦康親王を生んだ旧平生昌(たいらのなりまさ)邸のことです。
I:え? 敦康親王を生んだ場所でもあり、皇后定子が最期を遂げた場所でもありますよね。とても皇后の在所とは思えぬ、貧相な屋敷……。そんなところに敦康親王をお移しになるとは、まさに「ブラック道長」ということなのですね。
A:単に中宮彰子と敦康親王を引き離したということではないのですね。
「賢子の実父は道長」を知った為時
I:さて、今回のもうひとつのトピックスは、賢子(演・南沙良)の本当の父が道長であるということが為時(演・岸谷五朗)にバレた場面ではないでしょうか。
A:バレたというより、「今まで知らなかったんですか?」という感じでしたが、惟規のとぼけっぷりも面白くて、ニタニタしてしまいました。
I:このタイミングで『紫式部日記』に描かれている有名な場面がアレンジされましたね。寛弘7年(1010)正月2日に行なわれた「子(ね)の日の宴」です。これは正月に宮中で公卿や近しい人々を招いて行なわれるものです。そうした場に藤原為時が招かれていたというのも重要なポイントです。
A:『紫式部日記』には、「〈どうしてそなたの父御は、わしが御前の御遊びに呼んだのに、伺候もしないで急いで退出してしまったのか。ひねくれているな〉などとご機嫌を損じていらっしゃる」と、宴に招かれた為時が、道長に挨拶することなく退出したことが記されています。
I:『光る君へ』の劇中では、賢子の実父が道長であると知らされたばかりで動揺する為時の様子が描かれました。何か言いたげな表情で道長にちらちらと視線を投げかける為時の様子が本当に絶妙でした。さすが岸谷五朗さん。
A:『光る君へ』劇中では、「子の日の宴にお前の父を呼んだ」「何か私にいいたげで、ずっとこちらを見ておった」「そして宴のさなかにいきなり帰って行った」「せっかく招いてやったのにどうしたのであろう」と藤式部にぶつぶつとつぶやく道長の姿が描かれました。
I:普通に見ていても、孫の賢子の実父が道長だったということで動揺する姿がいじらしい、という感じでしたが、『紫式部日記』のエピソードを知っている視聴者は、「え、こういう展開?」「こう来ましたか!」など面白く見ている人が多いのではないでしょうか。
A:爆笑した人も多かったのではないですかね?
I:これまでドラマの中では、「お前と道長様はどういう関係なのだ」と聞いたり、自分たちが優遇してもらえるのもまひろと道長との特別な関係のおかげだと理解している風だった為時が、実は全然わかっていなかったという設定ですからね。あまりにも真面目な性格で、ふたりが男女の関係で孫は実は道長の子、ということまで全く思いもつかなかったんだと思います。そこを、うまく、『紫式部日記』での宴退席の場面に結び付けたのは、ほんとに細かい。実ではないのかもしれないけど、さもありなんと思わせるあたりが、語られない歴史のほつれた糸が全部綺麗に縫い合わさっているかのようです。
A:その為時が悲劇に見舞われます。陽気なキャラクター惟規が亡くなるという事態です。重大案件ですので、この件は別項でじっくり考察したいと思います。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり