英国ではここ数年、翻訳小説総販売数の4分の1を占めるほど日本の現代文学が読まれている。今につながる先人の文学の足跡を辿る。
ロバート キャンベルさんが語る日本文学の真髄
1985年に来日し、近世・近代日本文学を研究するロバート キャンベルさんに、日本文学の変遷と真髄について尋ねた。
「日本文学は、世界でも非常に稀な文学だといえます。1300年以上にわたり王朝が交替していないため、日本語というひとつの言語体系で書かれてきたという点で、ほかにあまり類を見ない。発音や書き方などは時代とともに変遷があるとはいえ、どの時代のどんな地点に立ち、どういう目線で物事を見るか、どのような人生の時間の中で、誰が、何を書くか、そこに日本文学のおもしろさがあるのだと思います」
さらに挿絵が多いことと、古来、見聞したものを記録する風習があったため、観察眼が養われたことが日本文学の大きな特徴といえると、キャンベルさんは語る。
「それまでは上流階級の間で読まれていた『源氏物語』のような古典も、江戸時代になると読者が増えました。『源氏物語』に限ったことではありませんが、大衆は文学などからさまざまな教訓を読み取り、自分たちの生活に役立てていたのです。大衆の多くは主に講談などで物語を聞き、楽しみ、そこから生きる術を学んでいました。明治になると、学校教育により話し言葉と書き言葉がほぼ同じ形の言文一致体になっていき、人々は書物を読むのみならず、自ら書く機会が増えていきました」
言文一致体が推し進められたのは、日本が欧米列強と肩を並べる大国を目指し、植民地に対する言語教育とともに、地域による差のない共通の“国語”が重要であると政府が考えたため、とキャンベルさんは指摘する。
「江戸時代には、文学の中で徳を積むことにより、家族や仲間を存続させることを学び取っていましたが、明治時代になると大衆は情報を新聞から得るようになり、情報源としての文学は一定の役目を終えることになりました。以降は、純粋に芸術としての文学作品が生み出されていくようになったのです。同人誌などに投稿することもできるようになり、その意味では日本文学の裾野が広がったといえます」
文学にも影響を与えた感染症
平安時代から近世まで、日本文学の潮流を見ているキャンベルさんによると、大きく変化するきっかけとなるものが折に触れてあったという。
「それは感染症です。感染症に貴賤なし。人類の歴史は疫病との戦いの歴史ともいえますが、日本文学においても、社会がひっくり返るような疫病の流行を経て、人々の生き方が大きく変わり、文化が変わり、文学が変わっていったのだと思います」
紫式部は時の為政者、藤原道長の支援を得て『源氏物語』を執筆したが、『源氏物語』が書かれた直前には正暦・長徳の疫病(天然痘)が蔓延し、公卿の多くが死亡した。家督を継ぐ予定のなかった藤原道長が関白になりえたのも、疫病でほとんどの公卿が死に絶えたためであった。
江戸時代の戯作者、式亭三馬の『麻疹戯言』は、1803年(享和3)に江戸を襲った麻疹を題材にした小説だ。
「麻疹の蔓延で人々が右往左往する様子がおもしろおかしく描かれています。深刻な状況ながらも笑いで社会を浄化し、人々の気分を落ち着かせていたんですね。他にも感染症を機に書かれた文学は非常に多く、社会で一定の役割を果たしていたのでしょう」
日本文学は周期的に襲ってくる感染症の流行に大きく影響を受け、それを題材にした文学から学んだ人々にも大きな影響を与えていったとキャンベルさんはいう。
取材・文/平松温子 撮影/湯浅立志
※この記事は『サライ』本誌2024年7月号より転載しました。