明治の世になり、日本を訪れるようになった西洋人たちは夏に暑い東京を離れ、冷涼な地へ避暑を求めた。旅籠は近代的なホテルへ大きく変化し、現在へと繋がる観光の在り方となった。
【軽井沢】“夏でも屋根が要らぬ冷涼な気候”と形容
アレクサンダー・クロフト・ショー(1846-1902)
軽井沢ショー記念礼拝堂
1886年(明治19)春、ふたりの西洋人が軽井沢を訪れた。ひとりはカナダ人の宣教師、アレクサンダー・クロフト・ショー。もうひとりはショーの友人で、東京帝国大学の英語教師であるジェームズ・メイン・ディクソンだ。
ふたりは、アーネスト・サトウによる『明治日本旅行案内』を読んで軽井沢に向かい、この清涼な高原気候に魅了された。このとき、避暑地としての軽井沢の歴史が始まった。
当地でふたりが逗留した宿が「亀屋」である。宿の主人は佐藤万平。のちに外国人専用の亀屋ホテルを創業し、万平ホテル(1894年〜)を興す人物だ。以降もふたりは軽井沢をたびたび訪れ、ショーは別荘を構えるに至る。これが軽井沢における別荘の第1号といわれる。
万平ホテル(改装休館中、営業再開は本年夏を予定)
ショーの別荘には、友人の家族が多数訪れ、避暑地・軽井沢の評判は次第に西洋人のあいだに浸透していく。1893年頃には300人の西洋人が避暑に訪れたという。そうした状況のなか、佐藤万平は別荘の販売を始め、旧来の旅籠宿は外国人向けのホテルに商売替えをしていった。
ショーは、避暑を過ごす客のために礼拝堂を建て、今も「軽井沢ショー記念礼拝堂」として維持され、ショーの別荘は当時の姿に復元され「ショーハウス記念館」として、礼拝堂と同じ敷地に立っている。
ショーたちが訪れ、過ごしたことで、その後の軽井沢が、日本有数の別荘地として発展していく礎を作り上げたのである。
ショーハウス記念館
【草津】温泉湯治を予防医療に高めた
エルヴィン・フォン・ベルツ(1849-1913)
エルヴィン・フォン・ベルツは1876年に来日し、26年にわたり東京帝国大学で教鞭を執ったドイツ人医師だ。都合、29年にわたり日本に滞在。「日本の近代医学の父」と称される。
ベルツは「バーデン・バーデン」などの温泉地が数あるドイツ南部の出身で、来日早々、日本の温泉に興味を抱き、1878年に草津を訪れたとされる。彼は高温の温泉に出入りを繰り返す、草津独特の「時間湯」という入浴法に強い関心を抱く。そしてなぜ草津の湯が難病治療に効くのかを研究し、論文を発表した。
〈お医者様でも草津の湯でも惚れた病はなおりゃせぬ〉と小唄にある温泉は、当時最先端の医学的知見を持ったドイツ人医師により、効能にお墨付きが与えられた。
草津の人たちがいまでも「ベルツさん」と親しげに呼ぶのは、彼への感謝を忘れていないからだ。
ベルツ記念館
群馬県吾妻郡草津町大字草津2-1
電話:0279・88・7188(草津町観光課)
開館時間:9時~16時30分(入館は16時まで)
休館日:無休
入館料:無料
交通:JR吾妻線長野原草津口駅よりJRバス草津温泉行きで約24分、草津運動茶屋公園バス停下車、徒歩約3分
取材・文・撮影/宇野正樹 写真提供/土屋写真店、万平ホテル
※この記事は『サライ』本誌2024年7月号より転載しました。