この事件の内容と結果

長徳元年(995)頃、道長とライバル関係になっていた伊周は、藤原為光の娘・三の君と逢瀬を重ねていました。時を同じくして、花山法皇は、同じ屋敷に住む四の君のもとへ。しかし、伊周は、法皇も三の君を寵愛していると勘違いし、弟の隆家に相談します。すると、元来、血の気の多い隆家のこと、長徳2年(996)1月、従者を引き連れ、花山法皇を待ち伏せて襲撃。

従者の矢が、花山法皇を射かけます。花山法皇は出家の身でありながら、女性のもとへ通っていた後ろめたさや、隆家への恐怖から口をつぐんでいたようですが、噂はすぐに宮中に広がり、道長のもとへも届きました。

その後、3月には東三条院藤原詮子呪詛事件、4月には大元帥法(だいげんのほう)修法密告事件などがおこり、伊周は大宰権帥(だざいごんのそち)へ、隆家は出雲権守(いずもごんのかみ)に左遷することが決まりました。

このとき、中宮定子は懐妊しており、内裏を出て私邸の二条邸にいました。伊周と隆家はここに居座り、定子の庇護のもと、病と称して一向に出立しようとしませんでした。その後、伊周は播磨(はりま)国逗留が認められ、隆家は但馬(たじま)国にとどまりました。一方、2人を匿っていた中宮定子は、自ら髪を切り落飾してしまいます。

同年10月、伊周は母の高階貴子と中宮定子の見舞のため、俗人姿で密かに都へ戻ります。しかし、それが露見してしまい、結局、大宰府に流されました。高階貴子は、失意のうちに没します。

「長徳の変」その後。次ページに続きます

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