道長と頼朝の「右兵衛権佐」
A:さて、藤原兼家の3人の息子が内裏に参内する様子が描かれました。このときの道長(演・柄本佑)が右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)という官職名で呼ばれる場面が挿入されていました。
I:あ、これは源頼朝が平治の乱の直前に任ぜられて、後に「佐殿(すけどの)」と称される由来となった官職ですね。2年前の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、唐名の「武衛(ぶえい)」も話題になりました。
A:道長の時代と頼朝の時代はざっくり170年ほど離れていますが、道長の時代には頼朝の先祖たちが与えられる役職ではなかったのです。平清盛が左兵衛権佐に任じられますが、武士の台頭までそのくらい時間がかかったということを知らせてくれる場面になりました。
型破りな花山天皇が大河ドラマに登場
I:劇中では後の花山天皇の型破りなエピソードが紹介されました。演じている本郷奏多さんは、2020年の『麒麟がくる』では、藤原道長の子孫にあたる近衛前久を演じていました。なんだか高貴な人物が似合うという印象です。
A:近衛前久も型破りな貴族として知られています。本郷奏多さんは高貴だけれども型破りな人物を演じさせると、ほんとうにはまりますよね。しかし、花山天皇のエピソードの中でも衝撃的なものをぶち込んできました。
I:「よく似た親子で手ごたえも似ておる。どちらと寝ておるかわからなくなる時もしばしばじゃ」って言っていましたね。母娘をともに愛して、実際にそれぞれに皇子が誕生しているということにもびっくりさせられます。
A:平安時代の物語風史書『栄花物語』所収のエピソードですね。ドラマの中では即位前の東宮時代の話として自ら口にしていましたが、実際には退位して院となってから、自分を育てた乳母である女性とその娘それぞれに皇子を生ませたという出来事があったようです。ま、即位前からかなり好色だったと言われていますが。学問指南+間者として送り込まれた為時が兼家に知らせるという流れになりました。
I:さて、そうした中で、まひろと道長の再会なども描かれた第2回。もうひとつ印象に残る場面がありました。為時が嫡男にしてまひろの弟の太郎(演・高杉真宙)と『史記』『孟嘗君列伝』についてやり取りしていた際に、「知らね~」と言ってしまった場面です。
A:あ、その場面、思わずふきだしてしまいました。めちゃくちゃインパクトありましたね。1979年の大河ドラマ『草燃える』でも台詞が現代言葉すぎないかと議論があったそうですが、当時小学生だった私はまったく違和感なく視聴していました。
I:まずは、平安中期というチャレンジングな時代を舞台にしているわけですから、わかりやすさ最優先というところなのでしょう。子音も今とは違うといいますし、実際に平安時代の人が話している言葉を耳にしたら、我々現代人にはちんぷんかんぷんかもしれませんしね。
A:そういう部分も含めてどんどん話題になってくれたらいいですね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり