文/池上信次

前回(https://serai.jp/hobby/1161694)に続いて、アーティスト没後リリースの「新曲」について。ジャズでは、アーティスト没後に「(生前は)未発表(だった)音源」、特に「未発表ライヴ」がリリースされることはめずらしくなく、生前より没後に発表されたアルバムのほうが多いアーティストもいるくらいです。これは、ジャズは「演奏」が活動の中心であることの表れです。その一方、誰もがオリジナル曲を書くわけではないので、ビートルズのような、没後に発表される「未発表曲」は多くはありません。

そんな中、2011年にチック・コリア・トリオが、ビル・エヴァンス作曲の「未発表曲」を演奏して話題になりました。エヴァンスは名演のみならず、多くの名曲を残した作曲家でもあります。


チック・コリア、エディ・ゴメス、ポール・モチアン『ファーザー・エクスプロレイションズ』(ユニバーサル)
演奏:チック・コリア(ピアノ)、エディ・ゴメス(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)
録音:2010年5月4日〜17日
ニューヨーク「ブルーノート」での2週間のライヴ(全音源は90分ステージ24セット分!)からベスト・テイクを収録した2枚組CD。

エヴァンスの「未発表曲」=「新曲」を演奏したチック・コリア・トリオのメンバーは、ポール・モチアン(ドラムス)とエディ・ゴメス(ベース)。モチアンはエヴァンスの最初のトリオのメンバーで、1959年から63年までエヴァンスと活動しました。エヴァンス、モチアン、スコット・ラファロ(ベース)のトリオによる『ワルツ・フォー・デビイ』は、エヴァンスの代表作となりました。また、ゴメスは66年から77年まで11年間にわたってエヴァンスのトリオで活動した、最長の共演者として知られます(ちなみにその後ゴメスはコリアとたびたび共演)。このライヴ・アルバム『ファーザー・エクスプロレイションズ』は、ゴメスとモチアンの初共演というという意外なオマケもついた、「エヴァンス・トリビュート」アルバムなのですが、ここに収録されている「ソングNo.1」は、このアルバムで初めて発表された(とされる)、エヴァンスの「未発表曲」なのです。

チック・コリアがアルバムをまるごとビル・エヴァンス・トリビュートとしたのは、この『ファーザー・エクスプロレイションズ』が初めてですが、1969年には「ワルツ・フォー・ビル・エヴァンス」という曲を書いて録音しています。また、エヴァンス追悼のオムニバス『ビル・エヴァンス・ア・トリビュート』(Palo Alto Jazz/82年録音)では「タイム・リメンバード」を演奏し、「音楽と美学の世界へのビルの貢献は計り知れません。私は彼から個人的に多くのことを学びました(大意)」とコメントを記すなど、チックはエヴァンスから大きな影響を受けているのでした。ですから、チックと、エヴァンスをもっとも知る共演者たちによる演奏は、「新曲」にふさわしいシチュエーションといえるでしょう。

ライナーノーツにある、チック自身によるこの楽曲の紹介には、「1960年代半ば、エヴァンスはテレビやラジオのコマーシャルからポップ・ソングまで、さまざまな状況に合わせた音楽を作っていた。しかし、彼の和声感覚は当時のポピュラー音楽には合わず、多くは出版社やアーティストから、『ウケない』という理由でボツになった。この『ソング No.1』はそれらの中の制作途上の1曲だが、ラフマニノフやドビュッシーに通じる色彩と感情の強さがある」(要旨/筆者訳)とあります。当時、ジャズ・ミュージシャンのCM音楽の作曲はめずらしいものではありませんでしたが、エヴァンスもそういった仕事をしていたのはちょっと意外な気もします(成果が上がらなかったことも)。そんな中でこの曲を残していたのは、捨てるには惜しい、いい出来だったということなのでしょう。

また、同じくライナーノーツにあるボブ・ベルデンによる解説には、「この楽曲はアーキヴィストのフランク・フックスが発見し、その情報から、ビルの息子エヴァンが所有するこの曲のテープがもたらされた。チックはそれを譜面に書きおこし、エヴァンスが何年も取り組んできたものであることをゴメスに確認した」(同)とあります。ゴメスが知っているというのですから、ライヴで演奏していたのでしょうか。しかし、エヴァンスの生前のアルバム、死去後に大量にリリースされた放送音源や、発売前提ではなかったライヴ音源までチェックしても、「ソング No.1」という曲は1テイクもありません。いい曲なら演奏しないはずはないですよね。まあ、「ソング No.1」は、明らかに仮タイトルですから、発表時に別のタイトルにしたのでしょうか。しかしそれなら「未発表」にはならないわけで。そもそも、なぜこの曲のソースは楽譜ではなくテープだったのか……? 

じつはこれは(前回紹介のビートルズと同じで)演奏のデモ・テープが残されていたからなのでした。なぜそんなことを私が知っているかというと……この曲をすでに耳にしていたから。あなたも聴いていたかも。なんとこの曲は、『ファーザー・エクスプロレイションズ』発表の10年以上前の2000年に、CDで「公式」リリースされていたのです。そのアルバムは『Practice Tape No.1』。内容はエヴァンスの「宅録」音源集。ビルの息子エヴァンが運営しているE3レーベルからリリースされました。ソロ・ピアノでオリジナル曲、スタンダード曲、クラシック曲など全22トラックが収録されています。タイトル通りなら「練習」ですが、おそらく一部は「デモ」として録音したと思われます。ここに収録されている「Unnamed Composition」が「ソング No.1」なのでした。トラックは、テーマを2回繰り返す1分50秒。ですから、厳密にいえば「未発表」ではなかったのです。しかし、エヴァンスはトリオで演奏することを想定して書き、ゴメスとリハを重ねて(だからゴメスは知っている)、いつかトリオでの発表の機会をうかがっていたとすれば、本人はいませんが、トリオによる演奏で初めて「完成」=「新曲」ともいえなくもないですね(ビートルズの「新曲」で思いついたドラマチックな想像です)。

でも、なぜベルデンが『Practice Tape No.1』の存在に触れていないのか(もしかして話の始まりは2000年以前なのか?)、どうして「Unnamed」が「ソング No.1」になったのかは謎ですが(発表を機に洒落たタイトルを付ければもっと印象深かったかも)、それはさておき、この事例が物語るのは、エヴァンスにはまだまだ眠っている「新曲」があるかもしれないということ。多くの名曲を残したエヴァンスだけに、今後も「発掘」を期待したいところです。

(『Practice Tape No.1』については、第110(https://serai.jp/hobby/1029290)回でも紹介しています)

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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