文/池上信次
ザ・ビートルズの「新曲」が大きなニュースになっています。1970年の解散から53年、ザ・ビートルズ名義としては27年ぶりとなる、この「ナウ・アンド・ゼン」は、ジョン・レノン(1980年死去)が残していたデモ・テープに、他のメンバーの演奏を重ねて仕上げた楽曲です。このヴァーチャル・セッションは1994年に一度試されましたが、当時の技術ではデモ・テープのノイズ除去が十分にできず途中で断念。しかし技術の進歩でそれが可能になり、そのときに残されたジョージ・ハリスン(2001年死去)の演奏も加えて、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターが完成させ、このほど発表に至りました(2023年11月2日リリース)。
今回はこのビートルズについて、ではなく、このニュースで思い出した、ジョン・コルトレーン(1926〜1967)が没後に発表した「新作」について。コルトレーン名義の「新作」は、近年も2018年に『ザ・ロスト・アルバム』(インパルス)、2019年に『ブルー・ワールド』(インパルス)という、いずれもスタジオ録音のアルバムが発表されました。発表前提ではないライヴ音源のアルバムも含めると、「没後新作」は20作以上もありますが、これらのほとんどはそれまで未発表になっていた作品が「発見」されたもので、ビートルズのような「新作」、文字通り「新しく作られた」ものではありません。
「ほとんど」と書いたのは、その中でただ1作だけ「新作」があるから。そのアルバムは『インフィニティ』(インパルス)。ジョン・コルトレーンの名義で、死去5年後の1972年に発表されました。
どこが「新作」なのかというと、この作品は1965年と66年に録音されていたコルトレーンのグループの演奏に、ストリング・オーケストラやハープの演奏のオーヴァーダビングを施しているのです。しかも味つけ程度ではなく、オーケストラやハープが主役と思えるほどの、しっかりとしたアレンジと編集がなされているのです。コルトレーンの生前にはオーケストラとの共演作品はなく、「新作」と呼ぶにふさわしい内容になっています。これを作ったのが、コルトレーン(以下ジョン)の妻で、グループのピアニストでハープ奏者のアリス・コルトレーンでした。
このアルバムの「素材」となったグループの演奏は、1978年にリリースされた未発表音源集『ジュピター・ヴァリエーション』(インパルス)などで聴くことができます。それを聴けばなおさら『インフィニティ』がいかに「新作」であったかがわかります。オリジナルの音源とはまるで別物になっているのです。1965年音源はマッコイ・タイナー(ピアノ)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)を擁したカルテットで、66年はアリス、ファラオ・サンダース(テナー・サックス)を含むセクステット。スタイルは異なりますが、ここでは自然に並んでいます。アリスによる素材選択の的確さ、ストリングスのアレンジと構成は素晴らしく、激しく叫ぶファラオ・サンダースのフリーなソロさえも、オーケストラ作品の中の1パートというふうに聴こえてきます。「リミックス・ヴァージョン」の先駆けというには早すぎるものですが、フリー・ソロはこう聴くと印象がかなり違いますね。また、ハープの演奏も、「レオ」での、ジョンのフレーズをなぞっているようなオルガン・ソロも強烈な印象を残します。ジョンのグループでは目立たない存在だったアリスは、じつは影のリーダーだったのではないかと思ってしまうほど、その存在感と表現力に驚きます。
本来であれば、これは「アリス・コルトレーン・フィーチャーリング・ジョン・コルトレーン」などの名義で出すべきものだったのかもしれません。でもそうしなかったのは、アリスはもっともジョンを知る存在だけに、ここには急逝したジョンが抱いていた「未来」が描かれているからに違いありません。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。