本連載の第48回(https://serai.jp/hobby/389790)では、「ビル・エヴァンスの定説を見直す」というテーマで、「ピアノの多重録音」という、エヴァンス独自の「表現」について紹介しました。今回はその続きです。


『自己との対話』(ヴァーヴ)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)
録音:1963年2月6、9日、5月20日
「自己との対話」の第1作。アルバムはこの後、1967年録音の『続・自己との対話』(ヴァーヴ)、1978年録音の『未知との対話—独白・対話・そして鼎談』(ワーナー・ブラザーズ)の全3枚をリリースした。

ビル・エヴァンスの『自己との対話』3部作は「自分自身による多重録音」作品。ライヴでは存在し得ない音楽ですから、ジャズではとても珍しい試みといえるでしょう。アコースティック・ピアノ、そしてエレクトリック・ピアノまでオーヴァーダビングし、最大3台ものピアノで「自己との対話」を行なったエヴァンスですが、なぜその発想に至ったのでしょうか。クラシックでもジャズでもピアノの重奏は珍しいというほどではありませんし、ピアノ二重奏作品を作るなら、自身で多重録音するよりも、まずはもうひとりのピアニストと演奏することを考えるのが自然ではないかと思うのですが、エヴァンスにはそのような作品はありません。

エヴァンスの『自己との対話』3枚は、いずれも「書き譜」のアンサンブルを聴かせる類ではなく、ふんだんにアドリブ・パートを入れた「ジャズ」が演奏されています。どれかが伴奏に徹しているような「カラオケ的」構成はほとんどなく、2台、あるいは3台のピアノが対等です。「インタープレイ」、つまり「他者との対話」を重視したトリオでの演奏は、エヴァンスの生涯のテーマでしたので、「対話」を生かすなら他者とのほうが刺激的であることは本人がいちばんわかっていたことでしょう。ですから、まあ、意地の悪い見方をすれば、この「自己との対話」はピアノ3台であっても「ひとりごと」ですよね。対話の名手の、あえて対話をしない作品、または台本のある対話、という見方もできます。

そういった要素が重なって、「自己との対話」はエヴァンス独自のジャズ表現となったのですが、目指したものが即興的「インタープレイ」ではなく、「ピアノの重奏サウンド」でもないとすれば、いったいそれはなにか? エヴァンス自身の考えは表明されていないようなので、想像(妄想?)の域は超えませんが、没後20年以上経ってから発表された2枚のアルバムにそれを見つけました。

そのアルバムとは、ビルの息子エヴァンが主宰するE3 Recordsからリリースされた2006年発表の『Very Early vol.1 1943-49』と、2000年に発表された『Practice Tape No.1』。前者は1943年から49年の演奏、つまりエヴァンス14歳から20歳くらいのときの録音なのです。なんと16歳のラジオ出演音源も! 天才を感じさせるすばらしく貴重な音源なのですが、内容はとりあえず置いておいて、注目したいのは録音状況。いずれもソースは当時の主流録音機のディスクレコーダーで録音した音源なのですが、その中の1曲が、なんと「オーヴァーダビング」なのです。1943年の演奏に、2年後に声(兄へのメッセージ)がかぶせられているのです。この時代に自宅でオーヴァーダビングをしているというのは、「録音」とその機材にかなり関心があった証拠と見ることができるでしょう。

エヴァンスの両親は音楽好きだった(だから早くからピアノを習わせた)と伝えられていますので、ここまでは両親がやっていたのかもしれません。でも、驚くところは、その音源を残していたということです。ディスクレコーダーは50年代後半にはなくなり、テープレコーダーに移行するわけですが、おそらくエヴァンスはこのときに、これらの音源をテープにダビングして残していたと思われます(LP→CD化みたいなものですね)。(『vol.2』はリリースされていませんが)このような音源をたくさん残していたのは間違いないですから、エヴァンスは熱心なオーディオ機材愛好家あるいは録音マニア、機材オタクだったのではないでしょうか。そして、録音して聴くだけでなく、その時に一緒にピアノを弾いたりしているうちに、オーヴァーダビング作品「自己との対話」の着想を得た、というのが今回の「想像」です。

「多重録音」という「テクノロジーなしでは成り立たない音楽」は、当時ふつうに考えれば、ジャズとしてはかなりぶっ飛んだものだったはずです。長年の機材オタクだからこそ、エヴァンスは「多重録音」の新しい可能性を冷静に見いだすことができたのではないでしょうか。きっと自宅録音でじっくりと試していたはず。もしかして「自己との対話」コンセプトは後付けで、多重録音は手段ではなく、それ自体が目的であり、「多重録音を(宅録レベルではなく)スタジオでやってみたい」という気持ちがスタート地点だった、というのは妄想レベルかもしれませんが。

もう1枚の『Practice Tape No.1』は70年代の「自宅練習録音」集。こちらも『No.2』は出ていませんが、おそらくまだ多くの音源が残されていると思われます。エヴァンスは10代の頃からずっと自宅録音を続けていたのです。残されたテープには「宅録版・自己との対話」もあるに違いないと踏んでいるのですが、どうかなあ。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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