はじめに-蜂須賀家政とはどんな人物だったのか?

蜂須賀家政(はちすか・いえまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将です。信長・秀吉・家康の時代を生き抜いた、数少ない武将の一人でもあります。天正3年(1575)、信長に次いで、秀吉に仕えるようになった家政。

秀吉の主な戦で戦功を立て、豊臣政権を支え続けました。主君である秀吉を守る騎馬集団・馬廻りの中でも、精鋭として知られる黄母衣衆(きぼろしゅう)に選抜された家政には、勇猛果敢な有力武将というイメージがありますが、実際はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、秀吉の天下取りを支え、武功をあげた武将(演:武田幸三)として描かれます。

蜂須賀家政像(個人蔵)

目次
はじめに―蜂須賀家政とはどんな人物だったのか?
蜂須賀家政が生きた時代
蜂須賀家政の足跡と主な出来事
まとめ

蜂須賀家政が生きた時代

蜂須賀家政は、永禄元年(1558)に生まれます。家政が生まれた2年後の永禄3年(1560)に、信長と今川義元による「桶狭間の戦い」が勃発しています。尾張国(現在の愛知県)の若武者が有力武将を討ち取ったことで、信長の武名は全国に知れ渡ることに。

家政は、信長が天下統一の第一歩を踏み出した頃に幼少期を過ごし、武将としての人生を歩むこととなったのです。

蜂須賀家政の足跡と主な出来事

蜂須賀家政は、永禄元年(1558)に生まれ、寛永15年(1639)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

信長・秀吉に仕える、秀吉のもとで活躍する

蜂須賀家政は、永禄元年(1558)、蜂須賀正勝(まさかつ)の嫡男として、尾張国海東郡蜂須賀村(=現在の愛知県あま市)に生まれます。父が信長の家臣だったことから、家政も幼少の頃から信長に仕えていました。

元亀元年(1570)の「姉川の戦い」で、初陣を果たした家政。その後の天正3年(1575)には、秀吉に仕えることとなります。天正12年(1584)、家政は「紀州攻め」での功績を称えられ、播磨佐用郡(現在の兵庫県南西部)3000石を与えられることに。

さらに、翌年の「四国攻め」では父とともに活躍し、阿波国(現在の徳島県)17万6000石を与えられるなど、大出世を果たしました。また、家政は、秀吉馬廻りの黄母衣衆の一人でもあります。黄母衣衆とは、信長が率いた黒母衣衆・赤母衣衆に倣って作られた部隊です。

先陣を切って戦うこともある母衣衆(ほろしゅう)には、武勇に優れた武将しか選ばれません。そのため、ほかの家臣団からも一目置かれるほど名誉ある部隊だったと言えるでしょう。その後、文禄元年(1592)から始まった「朝鮮出兵」では、渡海して戦っている家政。

秀吉が亡くなるまで、豊臣政権を支えるために奮闘していたことが分かります。

平敦盛を追いかける熊谷直実(『一の谷合戦図屏風』より) 
背中の赤い布が母衣。主に、甲冑を保護する目的で使用されていた。母衣を着用するのは、武勇に優れた名将であるという証でもあった。

「関ケ原の戦い」で翻弄される。次ページに続きます

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