ライターI(以下I): 前週に茶々(演・北川景子)が秀吉(演・ムロツヨシ)の側室になったと思ったら、今週は秀吉と茶々の間に男子が誕生する場面が登場しました。
編集者A(以下A):この子は鶴松と名づけられた男子で、後の秀頼ではありません。ナレーションでは、〈生涯初のわが子を得て〉と鶴松が秀吉初めての実子ということが説明されました。
I:秀吉が長浜時代にもうけたと伝わる石松丸秀勝非実子説を採用したわけですね。
A:秀吉が長浜城主時代に、側室との間に秀勝と名づけた男子が誕生したといわれています。この秀勝が秀吉の実子か否かについては、学界でも議論が分かれていますが、長浜曳山祭を取材した際に、秀吉の男子誕生を祝って始まった祭りであると説明されました。長浜曳山博物館のホームページにも〈秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に、秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています〉と記されています。
I:この「秀勝」という諱(いみな)は、長浜の秀勝が夭逝した後も、信長の四男を養子に迎えた際にも与えられ、その死後に新たに姉ともの実子を養子に迎え、再再度「秀勝」を名乗らせています。ここまで固執するのは最初の秀勝が実子だからだという説もありますね。
A:劇中では鶴松が秀吉の初めての実子ということで説明されましたが、異説が存在するというわけですね。ちなみに1981年の『おんな太閤記』では最初の秀勝の実母役を沢田雅美さんが演じていました。
一乗谷と小田原、五代百年の滅亡
I:さて、今週は、小田原北条氏五代百年の栄華の終焉が描かれました。五代百年というのは越前の朝倉氏とおんなじですね。
A:越前朝倉氏が本拠とした一乗谷は朝倉氏滅亡後にそのまま荒れるに任せて、野に戻り、その全貌が明らかになったのは昭和40年代以降です。そのストーリーが好きで、幾度も訪ねていますが、『信長全史』には取材で行った際の模様が収録されています。
I:昨年秋に「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」が新装オープンしています。
A:一乗谷遺跡、博物館ともに見どころ満載です。来年3月には北陸新幹線が福井県まで延伸しますから、注目スポットですね。さて、今週登場した小田原一夜城は、小田原城から直線距離で3キロほど離れた石垣山山上にあります。小田原市を一望でき、カフェなどもあって市民の憩いの場にもなっています。劇中では「家康との連れ小便」、戦場に側室を帯同するエピソードなどがしっかり描かれました。
I:私が印象的だったのが、北条氏政(演・駿河太郎)が汁かけ飯をかきこむシーン。氏政と汁かけ飯には有名なエピソードがありますよね。
A:氏政が父氏康と汁かけ飯を食していた際に、氏政が汁を継ぎ足したそうです。それを見た氏康が、毎日食べる飯にかける汁の分量も量れないことを嘆息したという話ですね。氏政が暗愚であったことを伝えるエピソードです。2016年の『真田丸』では、そのエピソードをアレンジした展開だったことを覚えている人も多いのではないでしょうか。
I:そういうエピソードを知っている方は「あ、汁かけ飯を食べてる」と感じたんでしょうね。さりげなくそういうシーンを入れ込んでくるとは心憎いですね。
小田原攻めにも波及した「慈愛の国構想」
I:さて、本編では小田原の北条氏政が上洛を渋る場面が登場しましたが、実際に氏政はなぜ上洛しなかったのでしょうか。
A:情勢を見誤ったとしかいいようがないですね。各地の戦国大名は越後の上杉、安芸の毛利が秀吉の軍門に降り、秀吉に攻められた四国の長曾我部、九州の島津も領土の全てを剥奪されませんでした。北条氏政も秀吉のことを見くびっていたのか、はたまた嫡男氏直(演・西山潤)の妻おふう(演・清乃あさ姫)の父の徳川家康(演・松本潤)の力を頼りにしていたのか……。まさか全てを奪われるとは思いもしなかったのではないでしょうか。
I:俗に「小田原評定」といわれる言葉があります。籠城するのか決戦にうって出るのか、はたまた降伏するにも誰に仲介を依頼すべきなのか、時間だけかけてなんにも決まらない会議のことを指す言葉になったのは、この時の北条氏の評定が由来ですね。
A:本作では、家康正室の瀬名(演・有村架純)が提唱した「慈愛の国=戦国ユートピア構想」にわずかながら心を揺さぶられたことが上洛しなかった理由としてあげられました。北条一族の滅亡まで、ユートピア構想に影響されたという設定になるとは、制作陣はよっぽどこの設定がお気に入りだったんですね。
I:北条五代の軌跡を大河ドラマにという声がありますが、初代の早雲こと伊勢宗瑞だと背景がわかりづらいのかもしれないですし、武田信玄や今川義元と三国軍事同盟を築いた北条氏康も3代目。秀吉に滅ぼされた氏政、氏直は4代目、5代目ですから、どの代に焦点を合わせるのか、なかなか難しいのかもしれないですね。
【旭姫の死と側室阿茶の局が登場。次ページに続きます】