⼤河ドラマや時代劇を観ていると、現代ではあまり使われない⾔葉が多く出てきます。一定の理解でも番組を楽しむことはできますが、セリフの中に出てくる歴史⽤語を理解していたら、より楽しく鑑賞できることと思います。
そこで、【戦国ことば解説】では、戦国時代に使われていた⾔葉を解説いたします。⾔葉を紐解けば、戦国時代の場⾯描写がより具体的に思い浮かべていただけることと思います。より楽しくご覧いただくための⼀助としていただけたら幸いです。
さて、この記事では関白についてご紹介します。 関白は天皇補佐のために置かれた官職で、「百官の上奏に関 (あずか) り、意見を白 (もう) す」という意味です。関白の地位は、長らく藤原氏が受け継ぐというのがしきたりになっていましたが、例外として天下人になった豊臣秀吉が関白になることになりました。
目次
関白とは
摂政とは何が違う
なぜ秀吉は関白になったのか
まとめ
関白とは
関白とは、天皇を補佐して政務を執行する官職のことです。「百官の上奏に関 (あずか)り、意見を白 (もう) す」という意味になります。その語源は、前漢の時代に宣帝(せんてい)が重臣であった霍光(かくこう)に対して、物事はまず霍光に報告するよう命じたことにあるとか。「執柄(しっぺい)」「博陸(はくろく)」「殿下(でんか)」などといった別称もありました。
日本では、仁和3年(887)に宇多天皇が太政大臣・藤原基経(もとつね)に贈った勅書に記載されたのが、「関白」という言葉が初めて登場した時であると考えられています。平安時代中頃になると、朝廷において関白は実質的に最高の官職となり「一 (いち) の人 (ひと) 」と呼ばれるように。
やがて藤原氏北家をルーツとする摂関家が、近衛(このえ)家・鷹司(たかつかさ)家・九条家・二条家・一条家に分かれて関白と摂政の地位を継承し、慶応3年(1867)に摂政・関白・内覧が廃止されるまでそれが続きました。
摂政とは何が違う
摂政とは、天皇に代わって政務をとる官職のことです。関白は天皇を補佐する役職なので、制度上は関白よりも摂政の方が地位は高くなります。聖徳太子が推古天皇の摂政として活躍したことは有名です。こちらも関白と同じように、摂関家が官位を受け継ぐのが習わしになっていました。
なぜ秀吉は関白になったのか
関白は藤原氏が踏襲するのが風習になっていた中で、例外的に藤原氏出身ではない秀吉が関白に就任しました。天正13年(1585)のことです。
ことの発端は、関白の地位をめぐる摂関家内部の対立でした。関白に就任した二条昭実が左大臣の職を辞したので、近衛信伊(のぶただ)が左大臣となり、秀吉が内大臣になります。ところが、信伊が関白職も兼任したいと主張し、関白の辞任を拒否する昭実と対立しました。
そこで、秀吉による裁定を仰ぐことになります。秀吉はこの時、どちらが敗訴してもその一家にとって大きな打撃になると主張し、それは防ぎたいので、自分が関白になりたいと信伊に申し入れました。
信伊は、摂関家以外の者が関白になることはできないと言いますが、秀吉は近衛前久の猶子(仮に結ぶ親子関係の子)となり、信伊と兄弟の契約をして、やがて関白を信伊に渡すと伝えました。 結果的に秀吉の要求は承認され、秀吉は関白に就任することになったのです。さらにその後、豊臣姓も創出しています。
こうして、古代以来の官制に基づく秩序が再構築されることになりました。かつて平氏が、幕府のような独立した政体を築くのではなく、朝廷に依拠して位を上げていくことで繁栄を極めたのと似ています。
関白となった秀吉は、文字通り「百官の上奏に関り、意見を白す」者として大きな権威と正当性を有すことに。そして関白として、惣無事令の発令や検地、刀狩りなどの政策を推し進めていくことになるのです。
過去の鎌倉幕府や室町幕府の前例を踏襲するとなると、秀吉は武家の棟梁を意味する征夷大将軍に就任するのが自然です。しかし、室町幕府の足利義満以降、将軍の地位は源氏長者であることを証明するものであると認識されるようになっていました。
そのため、一説には秀吉は出自が百姓で、源氏ではなかったため、将軍になることはしきたりに反することになるのでなれなかったとも考えられています。ただ、関白の方が征夷大将軍よりも地位が高いので、秀吉が征夷大将軍よりもさらなる上の存在になろうとした意図も考えられるでしょう。
なお、秀吉は天正19年(1591)に関白の地位を甥の秀次に譲り、「太閤」と称します。新たに関白になった秀次は聚楽第を継承し、聚楽第に後陽成天皇を迎えるなど栄華を極めました。
まとめ
古代から天皇を補佐する重要な官職として、一部の人たちしか就任できなかった関白。しかし、百姓出身の秀吉が関白に就任したことによってそのしきたりが破られることになり、まさに「下剋上」を体現したものであったと言えるでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/三鷹れい(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『国史大辞典』(吉川弘文館)