道場六三郎(和食料理人)

─「和の鉄人」がYouTubeで発信する「家庭料理レシピ」が話題─

「“こうあるべき”という概念を破り、柔軟に挑むから、喜ばれるのでしょう」

料理人人生70余年、90歳を超えた今も現役。週に2回ほど、自身の店に顔を出し、献立を考え、料理の指導を続けている。89歳から始めたYouTubeの配信が人気となる。

──YouTubeの配信が話題です。

「2年半前、コロナ禍で世の中が沈んでいるさなかにYouTubeチャンネル『鉄人の台所』の配信を始めました。かつて僕は『料理の鉄人』というテレビ番組に出演していましたが、当時のディレクターさんから“YouTubeを始めませんか”と話を持ちかけられたのがきっかけです。彼には、コロナ禍で飲食店の応援をしたいという気持ちがあったようですね。僕のことを思い出してくれたことも嬉しかった。それまでYouTubeの存在を知りませんでしたが、何せ好奇心が旺盛ですから。二つ返事で引き受けました。 

『料理の鉄人』では高度な技術を用いた料理を披露していましたが、打って変わってYouTubeで紹介しているのは家庭料理。一般の方にもつくっていただける、簡単でひと工夫あるレシピを考案して紹介しています」

──どのような工夫でしょう。

「身近な食材を使って、いつもの味にちょっとした変化をつける、なんてことをよく考えます。たとえば、マヨネーズに大根おろしを混ぜたソース“マヨおろし”。コクがあるのにさっぱりしていて、ゆでた海老や野菜を和えるだけで立派な一品になります。“ふりかけ醤油”もとても簡単で便利です。醤油をまぶした鰹節を電子レンジで3分ほど加熱すると、味がついた上で水分が飛ぶのでサクサクと崩れる。そこに、一味唐辛子と白胡麻を混ぜれば、香ばしいふりかけの出来上がりです。サラダや唐揚げにかけてもいいですし、おにぎりにまぶしてもけっこう旨いんです」

──鉄人考案のおにぎりとは興味深いです。

「僕のおにぎりの特徴は一口サイズという点。昔、銀座のクラブで働くお姉さん方が、きれいに塗った口紅を気にせず食べられるよう小さく握ったものなんですが、そのおにぎりのつくり方を紹介した回は100万回も再生されているそうです」

──すごい反響です。

「数字のことはよくわかりませんが、“つくってみました”という声を聞くのは励みになります。“YouTubeを見ました”と言って、僕のお店(※『銀座ろくさん亭』 東京都中央区銀座6-9-9かねまつビル8階 電話:03・5537・6300)へ食事に来てくださる若いお客様も増えました。幸い、うちの店はコロナ禍でも常連のお客様に支えられて何とか持ちこたえましたが、YouTubeをきっかけに新しい風が舞い込んできたようで嬉しいですね」

YouTubeの撮影には、道場さんのマネージャーを務める孫の鮫島なつきさんも登場し、調理指導をする場面も。「孫と一緒に仕事できるなんて、幸せ者だね」と道場さん。

──調理場に入ると顔つきが変わりますね。

「なんといっても、料理は僕にとって生きがいですから。日々、皆さんに役立ちそうな新しい料理を考えることが楽しくて仕方ありません。寝床で考えだすと目が冴えてしまうこともありますし、目の前に食材を出されると新しい料理や調理法がぱっと閃(ひらめ)きます」

──アイデアが湯水のごとく湧いてくると。

「はい。アイデアは昔から変わらず事欠きません。それは、何かに縛られるのが嫌という僕の性分が幸いしているのでしょう。

日本料理は伝統を重んじる世界ですから、文明的な道具を用いることをあまりよしとはしません。けれども僕は、調理の効率をあげたいので電子レンジでも圧力釜でもフードプロセッサ―でも躊躇なく使いこなします。それから食材に関しては、日本料理の枠を超えたものをずいぶん早くから取り入れました。フォアグラ、バルサミコ酢、チーズ。フカヒレやつばめの巣など、中華の食材も面白がって使っていましたっけ」

──日本料理界の異端児と呼ばれていました。

「ですから“道場君の料理は日本料理じゃない”と同業者から反感を買うこともありましたよ。でも、店は常に満席状態。同業者たちからの評価よりも、自分の考えた面白い料理をお客様に喜んでいただける方がはるかに価値がありました。僕の料理は、遊びと反逆。和食とは“こうあるべき”という概念を破り、柔軟な精神で挑んでいたからこそ、『料理の鉄人』に抜擢されたのでしょう」

──“和の鉄人”として時の人となりました。

「あれはチャレンジングな番組でしたね。毎回、どんな食材で挑戦者と勝負するのかわかりませんでしたから、ぶっつけ本番。そういう意味でも発想力は鍛えられましたね。勝率は9割近くでしたか。いい経験をしました」

──料理人を目指したきっかけは。

「僕は石川県山中温泉の生まれで、両親は茶道具に漆をつける家業を営んでいました。女3人、男3人の6人きょうだいの末っ子だから名前は六三郎。家業は長兄が継いだので、僕は17歳から近所の鮮魚店で働き始めましてね。最初は料理人になるつもりはなかったけれど、料理人なら食べるのに困らないだろうと、東京へ修業に出ました」

東京での修業を皮切りに、神戸、金沢の和食店で研鑽を積み、再び東京へ。多くの経験を積み、40代を迎えた頃の道場さん。自由奔放な料理道を突き進んだ。

「料理は思いやりが大事。お客様の温かい言葉に救われる」

──料理人の修業は厳しいと聞きます。

「今はちょっと厳しくすると辞めてしまう若者もいるので難しい時代になったと思います。昔の料理人の世界は殴る蹴るが当たり前でしたが、僕は、怒られることはほとんどなかった。理不尽な料理長の下で嫌な思いをしたことはありましたが、黙々と先手を読んで、仕事は速かったと思います。いつでもふたり分働こうと努めました。周りから“お前は駆逐艦か”と言われていたほどです。“きれいに速く”とは僕の口癖ですが、思い返せば料理を始めた頃から、自分の性分だったんでしょうね。何より、早く一人前になりたい気持ちが強かったし、気働きもできたので、28歳で『赤坂常盤家』の料理長に抜擢されました。その後、いくつかの店を経て、『銀座ろくさん亭』を開いたのは40歳のときですから、もう50年以上経ちますか」

──92歳の今も店に通われています。

「週に2日ほど、自宅のある東京・四谷から銀座の店まで通います。とはいえ今はもう、大きなヒラメの皮を引いたり、鯛の頭を一発で割ったりする腕力はありません。ですから板場に立つことは少なくなってしまいましたが、月替わりの献立は僕が考えています。献立というのは、単に面白い料理を並べるだけでは芸がない。和食の献立は、文学的でないと魅力がないのです。歳時記に登場する旬を取り入れ、まるで歌を詠むような流れをつくることで完成しうるのです。

いい献立を組み立てるにも、新しい料理を編み出すにも、そして美しい盛りつけを考えるにも当然のことながらセンスが必要。ですから店の若い衆には、美意識を磨くために“本物を見るように”と常日頃から言っています。器、絵画、花。いいものをたくさん見て目を養い、己の肥やしにして、いい料理人になってほしいと願っています」

献立だけでなく、道場さんは日々の出来事や印象に残った言葉を筆ペンで紙に書き留めている。これは87歳のときに、店で働く若い衆に向けて筆をとった“料理人心得”。

──昔と今でつくる料理に変化はありますか。

「食べやすさを重視するようになりました。自分自身、昔のように口が大きく開きませんし、量も食べられません。うちにはお年を召された方も多くいらっしゃるので、食材を小さくカットしたり、噛みやすいよう柔らかく炊いたり。そういう工夫を凝らしています。

料理は思いやりが大事。お客様には必ず喜んで帰っていただきたい。食べ手に寄り添うことを常にしていますから、うちの料理は年寄り好みなの(笑)。中曽根康弘元総理が晩年に“ろくさんね、やっぱり年寄りには年寄りの料理人だ”とおっしゃった。嬉しかったですね。未だによく覚えています。お客様からの温かい言葉にはいつも救われました」

──仕事に没頭する日々に家族の反応は。

「僕はお客様だけでなく、家族にも恵まれています。8年前に女房の歌子を亡くしたのですが、晩年は認知症も始まったので自宅で介護をしていました。娘たちや姪っ子、お店で長年働いてくれていた人が交代で手伝いに来てくれてね。本当に助かりました。

妻は、僕が仕事から帰ると、いつもベッドから手を差し伸べてくれた。それから、先ほど話した“一口サイズのおにぎり”をつくってあげると喜んで食べてくれてね。思い出すといまだに愛おしい。最後まで慕われて、本当にいい夫婦だったなあと思います」

YouTubeの撮影は『銀座ろくさん亭』の定休日に店の厨房で行なわれる。1日がかりで6~7本分を撮影するが、道場さんは疲れた顔ひとつ見せず、食材に向き合う。

「小さな勇気、小さな喜び。人生は小さな幸せで溢れている」

──日々を充実させる秘訣はありますか。

「“小さな勇気、小さな喜び”という言葉を念頭に置いて毎日を送っています。小さな勇気とは、たとえば洗い物。食後に器を洗うのは面倒で後回しにしがちなんですが、小さな勇気を出してぱっと片づけてしまう。ちょっとした達成感を味わえます。小さな喜びとは、人に挨拶(あいさつ)をしたら笑顔で返事がきたとか、道端に咲いた花を綺麗だなと感じるとか……、気づこうとさえすれば、たくさん転がっている喜びです。人生は、心豊かになる小さな幸せで溢れていますよ」

──体力の衰えを感じることはありませんか。

「少しでも筋力を維持するために毎日4000歩以上、ウォーキングをしています。一緒に暮らしている次女が僕の体を心配して、歩いてみたら、と勧めてくれたんです。僕と同世代の方が杖をついて歩く姿をよく見かけますが、自分はまだ杖無しで歩ける。そのことに感謝の念を抱かずにはいられません」

──趣味のゴルフは相当の腕前と聞きます。

「60年以上やっていますから。今も週に2回のラウンドを欠かしません。新しい料理を考えるのと一緒で、夜中にスイングのあり方を考え始めたら眠れなくなることもしばしば。頭で考えるのも大事という点で、料理とゴルフには共通点が多い。ゴルフ好きの料理人は結構多く、一緒に回ることもあります。『料理の鉄人』の盟友である中華の陳建一さん、フレンチの坂井宏行さんともときどき行きました。3月に亡くなられた陳さんと最後にお会いしたのもゴルフ場でした。まだ67歳とお若かったのに……。 

僕は90歳を超えていますから、飛距離は最盛期の半分ほどに落ちました。ゴルフ仲間の中には、昔のように上手くプレイできないからとやめていく人もいましたが、やめてしまったら人生の喜びを失うだけ。体が思うように動かないもどかしさはありますが、今の自分をありのまま受け入れて、ゴルフも料理も僕は死ぬまで続けたいですね」

──やり続けることが大事だと。

「何事もね。ただ、これは致し方ありませんが、運転はやめました。娘がもう危ないからと心配するので、3年ほど前に運転免許を返納したんです。僕はスピードを出し過ぎる性分でしてね。愛車のポルシェに乗って、運転も料理と同じく“きれいに速く”を好んだわけです。道が空いているのにゆっくり走っていたらもったいないじゃないですか(笑)。今はゴルフ場への移動などは知り合いの運転手さんにお願いしているのですが、安全運転なんです。時折じれったくもなるのですが、法令を遵守することは素晴らしいことだぞと。寛大な気持ちを持てるようになりました。今さらながら、年を重ねて人間ができてきたなと感じます(笑)」

──私服にも気を遣っていますね。

「料理人は人から見られる仕事。背筋をぴしっと伸ばすよう気をつけ、街中でも、ショーウィンドーに映る自分の姿をチェックします。いつどこで誰に会うかわからないので普段着の装いにも気を配る。意識すること、それが大事じゃないでしょうか」

──まだまだ高みを目指しているようです。

「いえいえ。今の生活で満足しています。いちいち、すべてのことに喜ぶことができれば充分。でも、105歳で亡くなられた聖路加病院の日野原重明先生がおっしゃっていましたが“人間、新しいものを創造できる人は長生きする”そうです。僕は放っておいても、新しい料理のアイデアが湧いてくる。ですから、何が起きるかわかりませんよ」

常に人に見られることを意識して、背筋を伸ばし、服装にも気を遣う。ポロシャツにジャケットを羽織り、気に入りのスタイルで颯爽と銀座の街を歩く。

道場六三郎(みちば・ろくさぶろう)
昭和6年、石川県山中町(現・加賀市)に生まれる。和食料理人。19歳で東京へ料理の修業に出て『赤坂常盤家』などで研鑽を積み、昭和46年に自店『銀座ろくさん亭』を東京・銀座に開店。平成5年、一世を風靡したテレビ番組『料理の鉄人』に出演し、初代「和食の鉄人」として人気を集めた。平成17年、厚生労働省より卓越技能章「現代の名工」を受章。令和2年よりYouTubeチャンネル『鉄人の台所』を配信中。

※この記事は『サライ』本誌2023年7月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/安井洋子 撮影/宮地 工)

 

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