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【インタビュー】菖蒲豊實(「人吉駅弁やまぐち」販売員・75歳)「駅弁のお陰で家族を食わせられましたけんね。駅弁には感謝しかないです」

【サライ・インタビュー】

菖蒲豊實さん
(しょうぶ・とよみ、「人吉駅弁やまぐち」販売員)

――JR 肥薩線人吉駅で、駅弁の立ち売りを半世紀――

「駅弁のお陰で家族を食わせられましたけんね。駅弁には感謝しかないです」

観光列車の発着時刻に合わせて人吉駅のホームに姿勢よく立つ。駅弁を満載した木箱の重量はざっと15kg。後ろの列車は特急「かわせみ・やませみ」号、右奥は「いさぶろう・しんぺい」号。

観光列車の発着時刻に合わせて人吉駅のホームに姿勢よく立つ。駅弁を満載した木箱の重量はざっと15kg。後ろの列車は特急「かわせみ・やませみ」号、右奥は「いさぶろう・しんぺい」号。

※この記事は『サライ』本誌2019年5月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/佐藤俊一 撮影/宮地 工)

──背筋が伸びて姿勢がいいですね。

「駅弁を売っているからでしょう。木箱に駅弁を入れ、背中からバンドをタスキ掛けにして支えながら、ホームを移動するじゃないですか。この木箱が結構、重たくてね。背筋をピンと伸ばして、反って持たんといけん。それがいつもクセになっているとです」(笑)

──駅弁を立ち売りして50年だそうですが。

「肥薩線の人吉駅(熊本県)で、駅弁の立ち売りを仕事にして、今年で
50年になります。私が勤める『人吉駅弁やまぐち』は人吉の駅前にあるんですけど、定年は55歳なんです。だから、先輩は皆さんもう辞められましたし、私も20年前に定年になるはずでした。でも、なぜか会社が“辞めろ”とは言わさらんけん、そのまま、今日まできてしまったんです」

──ホームで菖蒲さんは人気者ですね。

「長くやってますから、顔馴染みのお客さんが多くて。私が会社で休憩してると“菖蒲さんはどこにおる?”って、探しに来るとです。駅長さんからは“あまりの人気に嫉妬してます”なんて冗談を言われます(笑)。

鉄道ファンの方は、私の写真を撮って、送ってくれます。このごろは海外からのお客さんが増え、次々と私と並んで写真を撮っていきます。立ち売りが珍しいせいもあるとでしょうか。海外の方は、事前にインターネットでちゃんと調べてこられるんですよね。人気があるのは『栗めし』で、言葉がわからなくても、弁当を見て“これ!”って、買われて
いきます。こんなに外国からの人が多くなったのは、つい最近のことですけどね」

──立ち売りが残るのは人吉駅だけですか。

「全国では何名かおられるようですよ。この前、2月に大阪で駅弁大会があって参加したときは、北海道の旭川から若い女性が来てまして、私と立ち売りの共演をしました(笑)。

それから、岐阜県のJR高山本線美濃太田駅の『松茸の釜飯』や、福岡県のJR鹿児島本線折尾駅の『かしわめし』は立ち売りが残っていると聞いてます。北海道の函館本線森駅でも、夏の観光シーズンだけ『いかめし』の立ち売りがあるようです。だから、まだ4~5駅は立ち売りがあるんじゃないでしょうか」

──でも、50年ひと筋の人はいません。

「いないでしょうね(笑)。私が立ち売りの仕事に就いたのは昭和44年、25歳のときで、まだ移動手段は列車が全盛の時代です。自家用車を持ってる人なんて、あまりいなかった。列車は蒸気機関車が主体で、ディーゼルも走り始めていました。人吉駅に駅弁の立ち売りは4名いて、そのうちふたりが女性で、雑貨とかお菓子を売ってました。私は駅弁専門で、名物の『栗めし』と『鮎ずし』、それから『幕の内』の3種類を売ってました。いまは1100円の駅弁が200円のころです。

それから何年後だったかな、『栗めし』と『鮎ずし』が800円になっていたころで、私は30代の後半だったでしょうか。週刊誌の取材があって、私の写真が載ったんです。その記事に“いまや数少ない手売りの駅弁屋さん”と書かれましたから、そのころから駅弁の立ち売りは全国的にどんどん消え始めていたんでしょうね」

菖蒲さんが30代のころ、週刊誌の「この一服がたまらない」という企画に載った菖蒲さんの仕事の合間の一服。「昔はどこでも、煙草を喫ってよかでしたもんね」

菖蒲さんが30代のころ、週刊誌の「この一服がたまらない」という企画に載った菖蒲さんの仕事の合間の一服。「昔はどこでも、煙草を喫ってよかでしたもんね」

「最初は恥ずかしかったけん、声がなかなか出なくて」

ホームに菖蒲さんの売り声が響く。その直後、駅弁が売れ出した。この日は中国からの観光客が多く、『栗めし』がよく売れていた。

ホームに菖蒲さんの売り声が響く。その直後、駅弁が売れ出した。この日は中国からの観光客が多く、『栗めし』がよく売れていた。

──一日に、何回くらい立ち売りをしますか。

「いまは、特急列車が駅に入る午前10時、午後1時、午後4時の3回です。昔は忙しかったですよ。宮崎駅から肥薩線回りで博多駅までの『急行えびの』も走っていて、1時間に1本ずつ列車が入ってきましたから。朝は7時過ぎに、門司港(福岡県)から都城(宮崎県)へ行く夜行列車が人吉駅に到着しよったけん、朝食代わりに駅弁を買ってもらった。
それから夕方5時まで、列車が着くたびに頑張って売りました」

──上手に売るコツはなんですか。

「列車が入ってきたら、“べんと、べんとー”と声をかけ、窓が開くのを見たら、お客さんのところへ素早くサッと走ってゆく。あとは次から次に窓が開きますから、特に難しいことはなかです。ただ、最初は恥ずかしかったけん、声がなかなか出なくて。先輩の後をついて回って、なんとか売りよったです。

3分ぐらいの停車時間に、窓越しで駅弁を売り、パッと暗算してお釣りを手渡します。これが、慣れんと難しかです。発車間際で、釣り銭を渡しそびれたり、逆にやりすぎたり。窓から釣り銭を投げ込んだこともあった。あれはちゃんと届いたかどうかわからん」(笑)

──よく売れる車両などはありますか。

「昔は7両編成で、グリーン車が1両あって、あとは自由席だったんですが、駅弁が売れるのは自由席なんです。なんでかというと、この田舎じゃ、グリーン車にはあんまりお客さんが乗っとらんけんね(笑)。

本当に、昔は駅弁がよく売れよったです。特に国鉄の時代、昭和50年代がいちばんよかった。びっくりするほど売れました」

──今は列車の窓も開きませんね。

「窓は開かなくなりましたが、人吉駅は熊本と鹿児島を山越えで結ぶ肥薩線の乗り換え駅なので、改札口の近くで待ち、降りてきたお客さんに声を掛けられます。出発する列車の乗降口でもやりとりができますから、逆に時間的な余裕は昔よりあるくらいです」

──なぜ人吉駅に立ち売りが残ったのですか。

「なぜでしょうかね、自分でも不思議に思います。ひとつには、『栗めし』や『鮎ずし』という昔から人気の名物駅弁があることと、肥薩線のローカルな雰囲気が、駅弁の立ち売りによく似合っているということもあるんでしょうか」

──肥薩線は明治42年(1909)開通です。

「肥薩線は熊本と鹿児島をつなぐ、山越えの鉄道で、いまでは青函トンネルや東海道新幹線と並ぶ“日本の20世紀遺産20選”に認定されています。電化されず、ディーゼル列車が走っています。一度は廃線になりかけましたが、なんとか生き残り、現在はJR九州が観光列車を走らせています。

人吉駅と熊本駅を結ぶ特急『かわせみ・やませみ』号、熊本駅から人吉駅を通り、吉松駅間を走る『いさぶろう・しんぺい』号など、肥薩線はゆっくり、のんびりした旅が楽しめるローカル線で、景色も素晴らしかです」

──山越えの路線ですね。

「当初は、平坦な海岸伝いに鉄道を敷く案もあったそうですよ。でも、日露戦争が終わって間もないころでしたから、海岸線に敷くと敵の軍艦から艦砲射撃を受ける恐れがあるという国防上の理由で、山越えの鉄道にしたという話です。

そのため、肥薩線には急な勾配を行きつ戻りつしながら行くスイッチバックや、螺旋状に回ってゆくループ線が見られます。いちばんの見どころは、矢岳駅と真幸駅の間で、矢岳第一と第二トンネルの間に見える霧島連山を望む景色で、“日本三大車窓”のひとつと称賛されています」

──駅弁の仕事は何がきっかけですか。

「鉄道が好きとか、駅弁が好きということではなく、じつは家内のほうが先に『人吉駅弁やまぐち』に勤めておりまして。それで、“駅弁の立ち売りに空きができた”と聞いて、入社したんです。ですから、まあ、家内の紹介みたいなもんです(笑)。

実家は農家で、中学を出てから10年間は跡取りとして、家を継いでおったんです。けれど、貧しくて食えない。家庭菜園みたいな規模しかなく、生活するには月々の現金が要るんです。だから、山仕事にも出ていたんですが、日当が安かった。駅弁が1個200円の時代に、1日300円でした」

人吉駅の2大名物駅弁は『鮎ずし』と『栗めし』。「今どきの人気の駅弁の主役は肉とカニですが、うちの駅弁は昔のままの素朴な山の味です。ファンが多いんですよ」。各1100円(税込み)。

人吉駅の2大名物駅弁は『鮎ずし』と『栗めし』。「今どきの人気の駅弁の主役は肉とカニですが、うちの駅弁は昔のままの素朴な山の味です。ファンが多いんですよ」。各1100円(税込み)。

駅弁を詰めた木箱の脇には、長く使い込んだ車掌カバンが掛かっていた。傷だらけだが、気心を知る仕事の戦友として捨てられない。

駅弁を詰めた木箱の脇には、長く使い込んだ車掌カバンが掛かっていた。傷だらけだが、気心を知る仕事の戦友として捨てられない。

「そろそろ引き時と思うんですが、お客さんがやめさせてくれんのです」

──「菖蒲」とは珍しい苗字ですね。

「地名が、あるんです。人吉市上原田町字菖蒲って。30戸ほど家があって、その半分は苗字が“菖蒲”なんです。辺りに菖蒲の花が咲いてるわけでもないんですけどね。埼玉県にも、菖蒲という地名はあるそうですね。

親父は戦死しました。昭和20年に、硫黄島で玉砕です。そのとき私は2歳ですから、親父の顔は写真でしか知りません。戦後、母親は再婚して家を出ていったので、祖父さんと、祖母さんに育てられました。ですから、子供時分には母親と接した記憶がなかです。

貧しくて、私は中学校までしか行けませんでした。高校や大学は行きたくても、行かれんやったですけんね。家で農業をしたり、林業の仕事をしたりしよったわけです」

──農業はやめてしまったのですか。

「それは、駅弁の立ち売りのほうが、稼ぎが断然によかったですから。初めて給料をもらったときはビックリしました。基本給があって、歩合制ですから、売れればもらえる。これは嬉しかったですよ。駅弁のお陰で家庭をもち、家内と子供ふたりを食わせられましたけんね。駅弁には感謝の思いしかないです」

──都会へ出ようとはしなかったのですか。

「私らは集団就職の世代です。同級生たちの多くは大阪などの都会へ出てゆきました。

去年、大阪で“駅弁大会”のイベントがあって出かけたんですが、そのときに10人くらい同級生が集まってくれましてね。集団就職で大阪へ出た仲間たちです。今年の大阪での駅弁大会でも4人、顔を見せてくれました。みんな、いいご隠居さんになっていて、働いているのは私くらいのもんでした」(笑)

──駅弁のイベントにはよく出かけますか。

「最近は、各地のデパートなんかで全国の駅弁を集めたイベントが増えましたからね。私も出かけて、お客さんを呼び込むために、駅弁の立ち売りをしています。毎年のように熊本や大阪、東京へ行ってますし、この春には博多でも駅弁のイベントがあります。

人吉駅で、列車のお客さんに駅弁を売るのが仕事ですから、自分が旅することはなかったですね。それが、この歳になって、駅弁を売るためにあちこちへ遠く旅をする。こんな日が来るとは、思ってもいませんでした」

──休みの日は何をされていますか。

「金曜日から週末を挟み月曜日まで駅弁を売り、火曜日から木曜日までの3日間が休みで、休みは爺さんたちで踊りばやってます。盆踊りとか、宴会のときに昔からこの辺でよくやる、人吉民謡“球磨の六調子”という踊りです。これを4種類ほど、月に2か所くらい福祉施設で踊ってみせます。男の踊りは珍しいので、皆さん、えらい喜びよるです。こっちもそれが嬉しくてずっと続けているんです。一昨年やったかな、発表会をしたときは700人近いお客さんが見に来てくれました」

──それが健康の秘訣でしょうか。

「酒と煙草は60歳を機に、スパッと止めました。特に、健康を維持するためには何もしとらんです。趣味の踊りで身体をよく動かし、仕事の駅弁売りで声を張り上げる、それがいちばんの健康法かもしれないですね」

──立ち売りはいつまで続けますか。

「駅弁は、私の大事な子供みたいなものですが、だんだん身体が辛くなってきました。そろそろ引き時かなと思うんですが、お客さんがやめさせてくれんのです。それが嬉しくもあり、できる限りは続けます。来年は、東京オリンピックもあるし、観光の方がもっと増えるでしょうから、頑張らんとね」(笑)

「私は駅弁のお陰で生き延びてきました。もう歳で、肩や腰が辛いんですが、やっぱり駅弁売りが好きなんです」後ろの風格ある石造りの建物は旧人吉機関車庫。

「私は駅弁のお陰で生き延びてきました。もう歳で、肩や腰が辛いんですが、やっぱり駅弁売りが好きなんです」後ろの風格ある石造りの建物は旧人吉機関車庫。

菖蒲豊實(しょうぶ・とよみ)昭和18年、熊本県生まれ。父親は第二次世界大戦で硫黄島において戦死。母親は戦後に他家へ嫁ぎ、祖父母の手で育てられる。中学卒業後は家の農業を継ぐ傍ら、林業に従事。昭和44年、「人吉駅弁やまぐち」入社。以来、国鉄からJR九州へ変わった肥薩線人吉駅で駅弁の立ち売りひと筋に半世紀。全国から消えた駅弁の立ち売りを守り続ける、人吉駅の名物的な存在だ。趣味は舞踊。

※この記事は『サライ』本誌2019年5月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/佐藤俊一 撮影/宮地 工

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