文/池上信次
もっとも多くの曲をジャズメンから「捧げられた」女性
ジャズには「誰それに捧げる」タイトルの曲がたくさんありますが、もっとも多く「捧げられた」のはおそらく「ニカ」でしょう。思いつくだけでも、ソニー・クラーク(作曲:以下同)「ニカ」、ホレス・シルヴァー「ニカズ・ドリーム」、フレディ・レッド「ニカ・ステップス・アウト」、ジジ・グライス「ニカズ・テンポ」、ケニー・ドリュー「ブルース・フォー・ニカ」、セロニアス・モンク「パノニカ」、デューク・ジョーダン「パノニカ」(モンクとは同名異曲)、トミー・フラナガン「セロニカ」(Thelonica:セロニアスとニカ)、ケニー・ドーハム「トニカ」(Tonica:おそらくTo Nica)、バリー・ハリス「インカ」(Inca:もじり)があります。このほかにも、タイトルに名前は使われていなくとも「ニカ」に捧げたと思しき楽曲、演奏はたくさん残されています。これらの「ニカ」はすべて、ニカ・ド・コーニグズウォーター男爵夫人のこと。
なぜイギリス出身の大富豪がジャズを支援するに至ったのか
これほどまでにジャズメンに慕われていたのは、彼女はジャズの(おもに経済的な)支援者だったから。それも桁外れのスケールの。セロニアス・モンクを50年代から死去するまでずっと支援していたというエピソードはジャズ・ファンならどこかで見聞きしていると思います。チャーリー・パーカーが(ホテル暮らしの)彼女の部屋で亡くなったというのも有名ですね。しかし彼女の私生活や、なぜイギリス出身の大富豪がジャズを支援するに至ったのかは、スキャンダルはあっても、事実はほとんど伝えられることがなく、長らく謎でした。なにか公表できない理由があるのかと勘ぐってしまうほどでしたが、それが、彼女の死後(1988年没)四半世紀が経とうとする2012年に詳細が明らかにされました。彼女の評伝が出版されたのです。
それは『The Baroness; The Search for Nica, the Rebellions Rothschild』。著者は映像作家・作家のハナ・ロスチャイルド。ニカはハナの大叔母にあたります。日本語版は『パノニカ ジャズ男爵夫人の謎を追う』(小田中裕次訳・月曜社刊)のタイトルで2019年に出版されました。そこにはニカ本人からのエピソードや、20年以上にわたる調査と、関係者のインタヴューに基づいたニカの人生のストーリーが詳細に記されています。
ニカは19世紀の世界一の大富豪であるロスチャイルド財閥のイギリス家系の末裔。旧姓名はキャスリーン・アニー・パノニカ・ロスチャイルド。彼女は1913年にイギリスで生まれ、フランス人男爵と結婚してフランスで暮らし、第二次世界大戦中はフランス軍に志願して従軍。戦後は外交官夫人としてノルウェーとメキシコに赴任するという世界を巡る生活を送っていましたが、1951年に家庭を捨てて単身ニューヨークに移住し、ジャズ・ミュージシャンとの交流が始まりました。
ニカの「支援」は、ブッキング、マネージメントや飲食の提供等は言うに及ばず、モンクが出演するジャズクラブにピアノを寄贈したり、アート・ブレイキーにクルマを買い与え、バンドメンバー全員のスーツをあつらえたといった桁外れのスケール。同書にはそういった「富豪」の暮らしぶりや、モンクの家族との奇妙な関係、チャーリー・パーカーの最期の謎など、それまで知られていなかった多くのエピソードが紹介されています。またこれらはそれまで語られることがなかった、ミュージシャンとも聴き手とも違う視点からのモダン・ジャズ史の一側面ともいえるものです。なお、原題からもわかるように、もともとこれは「激動の時代を生きた男爵夫人の波乱の人生」「一族への反逆」の物語であり、ジャズのエピソードはその物語の(多くを占めますが)すべてではありません。しかしそれがあることによって、彼女が人生を捧げた音楽はジャズでなければならなかったというか、ジャズだったのは必然であったことはよく理解できます。ジャズこそ、彼女が求めていた「自由」そのものだったのです。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。