範頼玄孫が北条への謀反の罪を着せられる

範頼の息子・範円を始祖とする吉見氏は、為頼―義春―義世(よしよ)と続いたが、北条氏を憚って慎ましくひっそりと生きていたのか、その治績はほとんど伝わっていない。だが、それでもなお北条氏は、源氏の貴種吉見氏の粛清を狙っていたのか。永仁4年(1296)11月、第9代執権北条貞時の時代になって、謀反の罪で討たれることになる。当主は、範頼の玄孫にあたる義世だった。

歴史書『保暦間記』には〈吉見孫太郎義世謀反の聞こえ有って召取る。(略)義世は龍ノ口にて首を刎ねられおわんぬ〉と義世が斬首されたことを記している。謀反の規模、謀反の理由などは伝わっていない。

有力御家人安達泰盛が粛清された霜月騒動(1285)、権勢を誇った御内人(執権北条氏の家臣)・平頼綱が討たれた平禅門の乱(1293)と相変わらず鎌倉幕府が混乱続きだった中で、この事件を以て源範頼を祖と仰ぐ吉見氏嫡流は廃された。冒頭に掲げた『太平記』第一話の場面は、永仁四年の吉見義世斬首の事件から九年後を描いたものだ。源範頼を祖と仰ぐ吉見氏嫡流は滅びたが、傍流の一族は能登などで命脈を保ち続けたという。

そして、義世斬首から37年後、鎌倉幕府は滅び、さらにその5年後に足利尊氏が源氏の棟梁として、室町幕府を開くのである。

範頼館跡に残る堀跡(埼玉県比企郡吉見町)。

構成/一乗谷かおり

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