「言葉の天才」と呼ばれた永六輔さん。その「言葉」によって、仕事や人生が激変した著名人は数知れない。永さんと長く親交があったさだまさしさんと孫・永 拓実さんが、「人生の今、この瞬間を有意義に生きるヒント」をまとめた文庫『永六輔 大遺言』から、今を生きるヒントになる言葉をご紹介します。
文/永拓実
「怖い存在」を避けるのではなく、探してでも見つけるべき
著名な方々の祖父の印象について書いてきましたが、一緒に仕事をした方々だけに限っても、「優しい」という人もいれば、「怖い」という人もいます。
とりわけ「いつも怖い存在だった」と振り返るのが、久米宏さんです。
久米さんのキャリアは祖父の番組の雑用係から始まりますが、5年後に番組が終了して以降は、祖父とレギュラー番組で共演する機会はありませんでした。しかし、久米さんは祖父を思い出すたび、今でも𠮟られている気分になるそうです。
「離れてからも常に睨まれている気がして、永さんはいつまでも怖い存在だった。でもあんなに真剣に睨んでくれる人は、永さん以外いなかった」
怖いけど、有難い。
僕自身、中学・高校時代は教師の目にストレスを感じ、早く大人になりたいと思うことがよくありました。しかし大学に入ってから、先生という存在の有難みに気づきました。自分で自分を律するのは、案外難しいことだからです。
祖父が常に持ち歩いていたメモ帳の中には、こんな言葉が遺されていました。
“自分を𠮟ってくれる人は、探してでも見つけろ”
祖父が70代のときに使っていたメモ帳です。
立場と年齢からして、祖父を𠮟るような人はいないからこそ、自分に鞭を打つ存在を求めていたのかもしれません。
久米さんと祖父の話には、後日談があります。祖父が亡くなってから久米さんが、祖父と出会った番組のプロデューサーさんと話したときに聞いた話です。
「どうしてあのとき僕に仕事が回ってきたんですか?」と久米さんが質問すると、「あれは僕が選んだんじゃなくて、永さんが、久米さんを名指しで選んだんだよ」と打ち明けられたそうです。
「病気明けで仕事もなくぶらぶらしている僕を見て、面白がってくれたのかもしれないね。永さんがいなかったら今はない」と久米さんはしみじみと語りました。
2015年に日本法規情報によって実施されたアンケートでは、「何らかの職場トラブルで悩んだことはあるか」という質問に対し、63%が「ある」と答えています。その理由として最も多かったのが、「上司との関係」です。
しかし祖父は、「怖い存在」を避けるのではなく、探してでも見つけるべきだと言います。久米さんも「いつも怖い存在だった」祖父に、感謝の言葉を惜しみません。怖くて避けたいと思うような人でも、すぐには逃げ出さない。久米さんの体験談からは、そんなことも学ばされます。
永六輔の今を生きる言葉
自分を𠮟ってくれる人は、探してでも見つけよう
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『永六輔 大遺言』(さだまさし、永拓実 著)
小学館
さだまさし
長崎県長崎市生まれ。1972年にフォークデュオ「グレープ」を結成し、1973年デビュー。1976年ソロデビュー。「雨やどり」「秋桜」「関白宣言」「北の国から」など数々の国民的ヒットを生み出す。2001年、小説『精霊流し』を発表。以降も『解夏』『眉山』『かすてぃら』『風に立つライオン』『ちゃんぽん食べたかっ!』などを執筆し、多くがベストセラーとなり、映像化されている。2015年、「風に立つライオン基金」を設立し、被災地支援事業などを行なう。
永拓実(えい・たくみ)
1996年、東京都生まれ。祖父・永六輔の影響で創作や執筆活動に興味を持つようになる。東京大学在学中に、亡き祖父の足跡を一年掛けて辿り、『大遺言』を執筆。現在はクリエイターエージェント会社に勤務し、小説やマンガの編集・制作を担当している。国内外を一人旅するなどして地域文化に触れ、2016年、インドでの異文化体験をまとめた作品がJTB交流文化賞最優秀賞を受賞。母は元フジテレビアナウンサーの永麻理。