文/池上信次
今回は、ジャズマンが演奏するめずらしい「ネタ」曲の続きです。前回(https://serai.jp/hobby/1055030)までは童謡や唱歌を題材にした演奏を紹介してきました。子供向けの曲はジャズには似つかわしくないということで、ジャズとしてめずらしいわけですが、もっと子供向けの曲を取り上げたジャズマンがいます。それは子供向け映画・テレビのテーマ曲。今でいうところのアニソンですね。
ジャズでアニソンといえば、ディズニーのアニメ映画の音楽がよく知られるところです。デイヴ・ブルーベックは1957年にディズニー曲集『デイヴ・ディグス・ディズニー』(コロンビア)を発表しています。ブルーベックは、当時幼い子供を連れてツアーをしており、子供のためにクルマの中で何度もかけていたディズニー映画の音楽を聴いて、この企画を思い立ったといいます。今では「ディズニー・ジャズ」はとくにめずらしいものではありませんが、当時この企画はたいへん話題になったであろうことは想像できます。また、ルイ・アームストロングは1968年に『サッチモ・シングス・ディズニー(原題:Disney Songs The Satchmo Way)』(ウォルト・ディズニー・レコーズ)を発表しています。これはウォルト・ディズニーからの依頼による企画でした。いずれもめずらしいものではありますが、その曲を演奏すること自体が目的の、そのとき限りの「企画もの」といえます。
ここで紹介したいのは「企画もの」ではなく、レパートリーのひとつとして選ばれた楽曲、つまりほかの楽曲と同等の視点から選ばれ、演奏されたアニソンです。というと、ジャズ・ファンならすぐにマイルス・デイヴィスが演奏する、ディズニー映画『白雪姫』のテーマ曲「いつか王子様が」を思い出すことでしょう。マイルスは1961年録音の、その名も『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』(コロンビア)で初発表後、何枚かのライヴ・アルバムでも録音を残しています。これは「企画もの」ではない、レパートリーのひとつとしてアニソンが選ばれた例といえるでしょう。マイルスの演奏以降、多くのジャズマンが取り上げたため、マイルスの「選曲眼」の象徴にも思われがちですが、しかし、じつはこれはマイルスが「本家」ではありません。
本家はビル・エヴァンス。エヴァンスは1960年発表の『ポートレイト・イン・ジャズ』で、この曲を取り上げていますが、小川隆夫著『マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック)で紹介されているポール・モチアンのインタヴューによれば、1960年11月にマイルスがヴィレッジ・ヴァンガードに出演した際の対バンがエヴァンス・トリオで、マイルスはエヴァンスが演奏するこの曲を聴いて自身のレパートリーに加えようと思い、エヴァンスからクインテット用の譜面を書いてもらったというのです。エヴァンスがこの曲を演奏していなければ、マイルスも演奏・録音することはなく、となれば「いつか王子様」はここまでジャズ・スタンダードにはならなかったことでしょう(なお、ブルーベック以前にもディズニー曲のジャズ演奏はあり、1955年にピアニストのジョン・ウィリアムスが録音していますが、マイナーゆえ、広く知られることはなかったようです)。
ではエヴァンスはこの曲を「たまたま」取り上げたのでしょうか? ここからは想像ですが、エヴァンスはレパートリーを考える際、スタンダードはもちろん、映画音楽、そしてアニソンまで、たいへん幅広い範囲を対象にしていたのではないかと思います。エヴァンスの「選曲眼」が、アニソンにも向けられていたことを示す例がほかにもあります。
1963年録音の『トリオ’64』のなかに、「リトル・ルル」という曲があります。これは正真正銘のアニソンです。『リトル・ルル』は1935年にアメリカの新聞で発表された漫画で、40年代半ばにはアニメ映画シリーズが作られ、世界的に人気を博しました。エヴァンスが演奏しているのはその映画版のテーマ曲なのです(なお、1970年代には日本でも『リトル・ルルとちっちゃい仲間』というタイトルでアニメ化されましたが、日本版は日本オリジナルのテーマ曲でした。また90年代にはアメリカでアニメがリメイクされており、そちらはかつてのアニメ映画版のテーマ曲が使用されています)。
エヴァンスは、この曲を単に奇をてらう目的で取り上げたわけではありません。ちゃんと自身の、自身だけのレパートリーとして消化し、再演録音までしているのです。多重録音を駆使した意欲作『続・自己との対話(原題:Further Conversations with Myself)』では、大スタンダード曲とともにこの「リトル・ルル」を演奏しています。このアルバムは共演者がいませんので、選曲は当然エヴァンスの意向によるものでしょう(クリスマス・ソングも入っているくらいですから)。また、多重録音はがっちりとアレンジしているのですから、音楽的に充分満足できる曲という認識だったはずです。クリスマス・ソング好き(第127回参照)といい、エヴァンスの「選曲眼」はじつにユニークかつ、確かなものだったといえるでしょう。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。