おぼん・こぼん(漫才師)

─テレビ番組の「仲直り企画」が話題になった高校の同級生コンビ─

「90代でも舞台に立ち、ダンスや歌唱、楽器を交えた1時間のショーをやりたい」

ステージ用のおそろいの衣裳で、ポーズを決めるおぼんさん(左)とこぼんさん(右)。おぼんさんは今、ツイッターで「日本一仲の良い漫才師」と名乗っている。

──コンビ結成57年目に突入しました。

おぼん「’80年代の漫才ブームの時、一緒だったのが、ツービートにB&B、ザ・ぼんち……。解散しちゃったコンビも多いし、別れてまたくっついて、というのもざら。続いているのって、うちらとオール阪神・巨人くらいじゃないの?」

こぼん「高校2年の秋からコンビを組んでるからね。長いな」

──テレビ番組の仲直り企画が話題です。

おぼん「ああ、『水曜日のダウンタウン』(TBS系)ね。元々2年前に、芸人解散ドッキリを仕掛けられましてね」

こぼん「実際、仲が悪かった(笑)。仲の悪いコンビに解散ドッキリを仕掛けたら、本当にするか否かっていう企画だったみたいです。で、仲の悪さが全国にバレちゃった」

おぼん「漫才って、相方の目を見て話すでしょ? それなのに舞台でも目を合わせなかった。お客さんと俺、一人漫談みたいなもの。“コロナで世間はソーシャルディスタンスですが、俺らは10年前からです”と笑いを取っていた」

こぼん「変な笑いだよね。でもお互い些細なことで気まずくなって、顔も見たくなくなった。衣裳も合わせないから格好もバラバラでした。不仲でいいわけないけど、お互い意地張ってたから」

──仲違いをやめた理由はなんでしょう。

おぼん「最後の最後で、“またこいつとおもろい漫才がしたい”、そう思った。それだけです。結局、ふたりとも見ているものは一緒なんです。どっちも漫才が好きで、ショービジネスが好きで、歌ったり踊ったりが好き」

こぼん「ふたりとも生の舞台で生きてきたんですよ。舞台が好きだった。じゃなきゃ50年以上も続けてません」

──そもそもの結成のきっかけは。

こぼん「高校の時に、隣のクラスに面白いヤツがいるな、と。こいつは漫才師になるしかないんじゃないかと思っていました。元々、僕は漫才師になりたくて、中学の時に横山ノックさんに弟子入り志願したんです。そしたら“高校くらい出ておけ”といわれてしまって。高校に入って、別の相方や姉と組み、テレビの素人番組で漫才を披露していました」

おぼん「俺はその頃、野球一筋。こぼんが前の相方と文化祭で漫才やったのを見たけど、何にも面白くない」

こぼん「失礼な! こんなところからまた喧嘩が始まるんです(笑)。で、修学旅行の時に先生から頼まれたんです。“クラス対抗演芸の審査中に漫才でもやってくれ”って。で、おぼんを誘った」

おぼん「俺もほら、幼稚園の頃から、近所のおばさんに“大きゅうなったら漫才師になりや”といわれていたから。で、誘いに乗って出たら、もうドッカンドッカン、ばかうけ」

こぼん「そのあと、テレビの素人番組の関係者から、“出演者が足りないからちょっと出てくれ”といわれてね。それでふたりで、『素人名人会』とか『しろうと寄席』に出だして、出ると評価されて……」

おぼん「そこからはトントン拍子」

こぼん「高校生漫才って珍しいでしょ? だから雑誌の取材もたくさん受けました。ちょっといけるかな、と思った」

おぼん「そんときのブームみたいなもんですよ。実力があったわけじゃない」

こぼん「堀越学園(東京都)の校長が芸能好きで、芸能事務所を作ったんです。住むところも給料も用意するから東京に来い、と」

──親に反対はされなかったんですか。

おぼん「そりゃ大反対です。特におふくろは堅い人で、しかも自分は長男。銀行に就職も決まってたしね。芸人になるなら勘当するといわれた。でも漫才と銀行マン、どっちがいいかっていったら、子どもの頃からの憧れの漫才師のほうがいい。それでボストンバッグ1個持って家出同然で出てきた。後悔? 自分でいうのもなんだけど、芸人は天性だったと思いますよ」

こぼん「当時芸人になるには、弟子入りして鞄持ちを3年やるか、素人番組で評価されるか、どちらかだった。僕らは師匠にもつかず、デビューのきっかけを手に入れたんですから、ラッキーですよ」

デビュー当時のおぼんさん(右)とこぼんさん(左)。「おぼん・こぼん」は、高校生漫才師として注目を集め、多くの雑誌が取材に来たという。

「漫才ブームの頃は1日2時間睡眠で太陽が真っ黄色に見えたことも」

──東京での芸人生活が始まります。

おぼん「そんな甘いもんじゃなかったですね、この世界は」

こぼん「事務所も7か月で潰れ、移った先がキャバレーに強いところ。入った途端に10代でキャバレー回り。今なら怒られますよ」

おぼん「当時の芸人の仕事といえば、歌謡ショーについていって司会をするか、会社の慰安会を回るか、キャバレーか。歌謡ショーも随分やったけど、中にはふんぞり返る歌手がいて、俺たちには合わない、となった」

こぼん「全国津々浦々、1年300日のキャバレー回り。12月なんて35日くらいあった」

──鍛えられますね。

こぼん「これが生活だったってことです。客は自分たちのことなんて見に来てない。腕は磨かれます。2〜3年やったかな」

おぼん「でもいちばん大きかったのは、ラスベガスですよ」

──どういうことですか?

おぼん「21歳の頃です。ある人に“お前らショービジネスが好きなら本場のアメリカで勉強してこい”といわれたんです。お金なんてないですよ。そしたら“お金を貸してやるからラスベガスへ行け”って」

こぼん「10数万円借りてね。当時の大卒の初任給が2万円だった時代です」

おぼん「その人が観賞すべきショーを見繕って手配してくれたんですが、あるショーでのことです。コメディアンが会場中を笑いの渦に巻き込んでる。でもこっちは英語も分からないからポーッとしてた」

こぼん「そしたら、コンビの片割れがこっちのことが気になってしょうがない」

おぼん「ほっときゃいいじゃない。アジアから来た若造2人組なんだから。それなのに笑かそうとするわけですよ。で、どこから来たかと聞かれたからジャパンだというと、“オゥ、ジャパン、ミフネ!”といって、身振り手振りを交えながら三船敏郎のモノマネを始めた。こっちが笑って拍手喝采したらようやく満足しました」

──コメディアンの意地ですね。

おぼん「たったふたりの客なんて、放っておくことだってできたはずです。でも投げずに笑わせに来た。それからですよ。どんな舞台でも投げちゃいけないって覚悟したのは。お金を借りてまで行って良かった」

こぼん「このあとだね、赤坂(東京)のコルドンブルーに移ったのは」

──コルドンブルーとは。

こぼん「赤坂にあったフランス料理のフルコース付きレヴューショー劇場です。ここに採用されて、結局10年いたかな?」

おぼん「そこに、ミチ&ユキというかっこいいコンビが出てたんですよ。タップはうまいわ、歌はうまいわ、背は高いわ」

──まるで今のおぼん・こぼんです。

おぼん「この人たちにいろいろ教えてもらった。今、俺たちの漫才は、タップやトロンボーンを取り入れてますけど、俺らが考えたわけじゃない。先駆者がいたんです」

こぼん「ミチ&ユキが『リンゴ追分』のジャズヴァージョンなんかをやってて」

おぼん「いただいた譜面を今も持っています」

おぼん・こぼんといえば、タップネタ。この日も軽快なタップを披露し、観客からは歓声があがっていた。「80歳、90歳になってもタップを踏んでいたいね」(おぼんさん)
40年来の相棒、タップシューズ(左がこぼんさん、右がおぼんさん)。どちらも修理を繰り返しながら履き続けている。「16歳からタップを習っています」(こぼんさん)

──しばらくして漫才ブームが来ます。

こぼん「コルドンブルーを夜中の1時までやってるでしょ? だから世間がどういう状況で動いているか分からなくて。で、『お笑いスター誕生‼』に誘われたんです」

おぼん「嫌だっていったの。こっちは10数年、芸人やって来てるのに」

こぼん「素人と一緒に審査されるから」

おぼん「騙されたんです。10週勝ち抜いたら賞金100万円で海外旅行にも行けるって」

こぼん「そんなのなかった」(笑)

おぼん「でもこっちは、コルドンブルーで10年やってるから。ネタならいくらでもある。受けた順にやったら勝ち抜いてしまった」

こぼん「そしたら漫才ブームの真っ只中。急に忙しくなって、睡眠は1日2時間。太陽が真っ黄色に見えたこともありました」

「正解がないから戦わないとだめ。1時間のショーならナイツに勝てる」

浅草東洋館の出番前、漫才コンビ「青空球児・好児 」と楽屋で談笑する。球児さん(左から2番目)の80歳を筆頭に、4人とも70歳を超えても、なお舞台に立ち続けている。

──70歳を過ぎた今でも舞台です。

おぼん「そのための準備を欠かしてないからね。毎日30分、腹筋、背筋を続けてます。まあ、野球やゴルフのためでもあるけどね。今でも草野球チームのエースですから」

こぼん「それに楽器の練習に、タップダンスのレッスン」

おぼん「たまにね、“おぼん・こぼんさんは器用ですね”といわれるんです。タップもやるし、楽器もやるし、歌もできる、と。そういう時はね、言い返してるんです。“じゃあ器用ならタップを踏めますか? トロンボーンが吹けますか?”て」

こぼん「月謝を払って習ってきましたからね。見様見真似じゃない」

──今日の舞台でもタップを踏んでました。

おぼん「カッコいいでしょ?」

こぼん「でも70代はまだ中途半端でしょ」

おぼん「じゃあ80代、90代でもタップだな。その年で舞台に出て、タップ踏んで、歌って、トロンボーン吹いて、1時間のショーをやったら最高じゃない?」

──なぜ舞台に惹きつけられるのですか。

こぼん「舞台ってね、生ものなんです。毎回お客さんが違うでしょ? 同じネタをやっても反応が違う。じゃあどうするか。やっていて、そういう面白さがありますよね」

おぼん「ふたりの歯車がかちっと噛み合うと、そりゃもう会場は大笑いですよ。それで15分のネタをやって、“ええかげんにしなさい”と袖に引く。それでもね、手応えがある舞台の時は……」

こぼん「引いた後もまだお客さんが笑ってる。あの快感は、味わった人間にしか分からない」

──舞台が楽しくて仕方ないわけですね。

こぼん「というわけじゃない」

おぼん「仲が悪いからじゃないですよ」(笑)

こぼん「舞台は怖い場所でもあるんです」

おぼん「この世界だけは、正解がないんです。今この年になっても“俺らは笑いを極めた”っていう実感はないですよ。先輩方も同じようなことをいってましたけどね。毎日毎日、戦ってないとすぐだめになる。でもこれだけはいえますよ。漫才の勝負ならナイツに負けるかもしれないけど、1時間のショーなら、俺たちが勝つね。引き出しの量が違う」

こぼん「舞台は面白くなければ客は離れ、面白ければ寄ってくる。分かりやすいんです」

おぼん「笑ってもらいたくて、だから今でもたいへんな思いをして舞台に出てますよ。そういう大変さを見せたら終わりですけどね。お客さんパッと見抜くから」

──どちらかが先にいなくなったら?

おぼん「どうだろうな。俺はひとりでも死ぬまで舞台に立ち続けている気がするね。サメやマグロと同じなんですよ、動いていないとどうしようもなくなる」

こぼん「僕は相方が先にいなくなったらスパッとやめますよ。だってひとりでやって、おぼん・こぼんを超えられますか? 別の人間と組んで、超えられますか? おぼん・こぼんは、おぼんあってのコンビ、ふたり揃ってのおぼん・こぼんなんです」

おぼん「仲直りできて良かったな」(笑)

主戦場の「浅草東洋館」(東京)での漫才の様子。同じ衣裳を着て肩を組むなど、ここ10年は考えられなかったという。

おぼん・こぼん
おぼん(右。昭和24年2月、大阪生まれ)、こぼん(左。昭和23年12月、大阪生まれ)。福島商業高校(現・履正社高校)在学中の昭和40年、コンビを結成。昭和55年『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)で10週連続勝ち抜きグランプリを獲得。現在は浅草東洋館など舞台に出演中。昨年10月6日放送の仲直りドキュメント番組が、2021年10月度ギャラクシー賞月間賞を受賞した。

※この記事は『サライ』本誌2022年2月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/角山祥道 撮影/吉場正和)

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