文/池上信次

前回(https://serai.jp/hobby/1050285)、マイルス・デイヴィスは1970年発表のアルバム『アット・フィルモア』で楽曲のテーマ・メロディを省略し、曲の概念を変えたと紹介しました。が、その5年くらい前までは、その対極ともいえる「バラードの達人」でもありました。バラードですから、メロディを大切にして歌を歌うように演奏するわけで、その部分については70年代には別人になったといってもいいくらいです。ここでマイルスのファンも二分されたような気もしますが、それはさておき。今回はマイルスのバラード演奏について。「マイルスのバラード」といえば、マイルス・ファンならずとも、ジャズ・ファンなら「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はすぐに思い浮かぶのではないでしょうか。

マイルス・デイヴィス『クッキン』(プレスティッジ)
演奏:マイルス・デイヴィス(トランペット)、ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)
録音:1956年10月26日
マイルスの愛奏曲のひとつ、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の初演はこれ。アルバムはクインテットでの録音ですが、この曲はテナー・サックスのジョン・コルトレーンが入らないクァテットによるもの。マイルスの繊細なメロディがひときわ印象的に響きます。

「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は『クッキン』での初録音以降、この曲をタイトルにした64年のライヴ盤や『イン・トーキョー』でも録音を残している、マイルスの愛奏曲であり看板曲です。オリジナルはロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャース作曲のミュージカル曲で、ジャズのスタンダード中のスタンダード。多くのジャズマンが取り上げ、膨大な録音が残されていますが、マイルスの演奏はその中でもひときわ輝く、この曲の代名詞といってもいいでしょう。

このほかにマイルスのバラードの名演としてよく知られるのは、「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」「星影のステラ」「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」といったあたりでしょうか。

「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」は1954年初演、56年の『ワーキン』などで録音されています。「星影のステラ」(第119回(https://serai.jp/hobby/1036539))でオリジナルの紹介をしています)は、58年の『1958マイルス』に始まり、65年の『プラグド・ニッケル』など。「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」は63年録音の『ゼヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』が初演で、67年のライヴの録音があります。マイルスは気に入ったバラード曲は何度も録音をしているのです。こうして見ると60年代までのマイルスは、じつに自覚的な「メロディの人、バラードの人」だったといえるでしょう。

さて、ここで挙げたマイルスのバラード愛奏曲はいずれもジャズの有名スタンダードで、そうなったのもマイルスの名演奏があったからですが、マイルスはこれらの曲をどこから持ってきたのでしょうか? これらはマイルス自身が見つけ出してきたものではありません。じつはこれらにはひとつの共通点があるのです。それは……

フランク・シナトラ『ソングス・フォー・ヤング・ラヴァーズ』(キャピトル)
演奏:フランク・シナトラ(ヴォーカル)、ネルソン・リドル・オーケストラ
録音:1953年
1954年リリース。フランク・シナトラがコロンビアからキャピトルに移籍しての初アルバムで、その1曲目は「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」でした。オリジナルは10インチLP。

それは、いずれも「フランク・シナトラのレパートリー」だったのです。フランク・シナトラ(1915〜98年)は、ジャズ・ヴォーカリスト出身のポピュラー・シンガーの大巨匠、映画の世界でも大スターですが、そのヴォーカルはささやくように歌う「クルーナー」と呼ばれるスタイルでした。マイルスは自身のバラードのスタイルとして、そのシナトラのテイストを取り入れ、さらにはレパートリーまでも「ネタ」としたのでした。

「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」「星影のステラ」「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」はいずれも、マイルスの前にシナトラの録音があります。また、バラードのほかにも、マイルスが演奏、録音している「アイ・クッド・ライト・ア・ブック」「アイ・ソウト・アバウト・ユー」は、シナトラのレパートリーです。

ふたりには個人的なつながりはなかったようですが、マイルスにとってシナトラは長期にわたる「アイドル」だったようですね。マイルスは、レパートリーのほかにも楽曲のアレンジでも、他者から「引用」した例がありますが(第125回参照(https://serai.jp/hobby/1042189))、いずれも濃厚なオリジナリティをそこに加え、「パクり」でも「カヴァー」でもない、「元ネタ」をはるかに超える名演を作ってしまっています。そこがマイルスのすごさといえるところです。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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