文/池上信次

ジャズ・スタンダード「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」についての考察の続きです。前回、この楽曲は1947年公開の映画『大地は怒る(原題:Green Dolphin Street)』のテーマ曲でありながら、映画とは関係なくジャズ・スタンダード化していったと考察しました。その理由は、この曲を多くのジャズマンが取り上げるようになったのは、映画公開からかなり経った1950年代後半から60年代前半にかけてのことだったからです。おもなアルバムを、録音年順に挙げてみましょう。

アービー・グリーン『East Coast Jazz Series No. 6』(ベツレヘム)1955年
アーマッド・ジャマル『Count ‘Em 88』(アーゴ)1956年
バーニー・ケッセル『ザ・ポール・ウィナーズ』(コンテンポラリー)1957年
マイルス・デイヴィス『ジャズ・トラック』(コロンビア)1958年
ポール・ホーン『インプレッションズ』(ワールドパシフィック)1959年
ウィントン・ケリー『ケリー・ブルー』(リヴァーサイド)1959年
デューク・ピアソン『テンダー・フィーリンズ』(ブルーノート)1959年
ホレス・パーラン『ムーヴィン&グルーヴィン』(ブルーノート)1960年
エリック・ドルフィー『アウトワード・バウンド』(ニュージャズ)1960年
ジョージ・シアリング・ウィズ・ナンシー・ウィルソン〈v〉『ザ・スウィンギンズ・ミューチュアル』(キャピトル)1961年
ジミー・ヒース『リアリー・ビッグ』(リヴァーサイド)1960年
ザ・スリー・サウンズ『ムーズ』(ブルーノート)1960年
レッド・ガーランド『ブライト&ブリージー』(リヴァーサイド)1961年
メル・トーメ〈v〉『カミン・ホーム・ベイビー』(アトランティック)1962年
サラ・ヴォーン〈v〉『ユーア・マイン・ユー』(ルーレット)1962年
(〈v〉はヴォーカル)

60年代前半にいく前にスペースがいっぱい。このほかに1965年までにザ・モンゴメリー・ブラザーズ、オスカー・ピーターソン、ビル・エヴァンス、ケニー・バレル、そしてアルバート・アイラー、ソニー・ロリンズらが録音を残しています。文字通りあっという間に広まった感がありますよね。

さて、多くの資料ではこの「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」(以下「グリーン・ドルフィン」)は、「マイルス・デイヴィスが取り上げて以来、スタンダード化」と紹介されていますが、このリストを見るとちょっと違うのではないかという気になりますね。

もう一歩突っ込んで調べてみました。マイルスがこの曲を初めてレコーディングしたのは、1958年5月26日です。収録アルバムは『ジャズ・トラック』というオムニバスLPで、アメリカでのリリースは1959年の11月。A面は『死刑台のエレベーター』のサウンドトラックを収録、「グリーン・ドルフィン」はB面収録の曲でした。マイルスはこのアルバム・リリースの3か月前に傑作『カインド・オブ・ブルー』を発表していますので、その話題に合わせて出した未発表曲のオムニバスというところ。マイルスは1961年4月録音の「ブラックホーク」でのライヴ・アルバムでもこの曲を演奏していますが、当時発表されたレコードには未収録でした。レコードがなくてもライヴの演奏がよくて広まったのか? やはり「?」な感じです。


マイルス・デイヴィス『1958マイルス』(コロンビア)
演奏:マイルス・デイヴィス(トランペット)、キャノンボール・アダレイ(アルト・サックス)、ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、ビル・エヴァンス(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、ジミー・コブ(ドラムス)
録音:1958年5月26日
(データは「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」について)


マイルスの「グリーン・ドルフィン」初演収録(『ジャズ・トラック』のB面全部を含む)。マイルスの歴史的名盤『カインド・オブ・ブルー』のメンバーによる演奏で、録音はその前年の1958年。マイルスの「グリーン・ドルフィン」といえば日本ではこの日本制作のオムニバス・アルバムが有名ですが、リリースは1979年でした。

ところで、「グリーン・ドルフィン」の演奏には定番のアレンジがあります。イントロと冒頭8小節がベースの通奏低音(+多くはラテン系リズム)、その後4ビートで8小節、そして冒頭パタンに戻って……というものですが、前記のリストのほとんどの演奏が、このアレンジです。マイルスの演奏も同様です。このアレンジは映画では使われていませんので誰かが最初に作ったわけですが、そのアレンジが楽曲とセットで広まっているのですから、すごい影響力ですよね。

録音順を見ると、マイルスは最初ではありません。リストを見直してみると、いちばん先の演奏は、アービー・グリーン(トロンボーン)の『アービー』、1955年の録音/リリースです。通奏低音のパタンですが、ホーン・アンサンブルをバックにしたスローな演奏でムード・ミュージックふう。その次が、アーマッド・ジャマルの『Count ‘Em 88』。録音は1956年。この演奏は、通奏低音を明確に出していて、まさに(のちの)「定番」アレンジといえる演奏です。やっぱりこれだ! 

アーマッド・ジャマル『Count ‘Em 88』(アーゴ)
演奏:アーマッド・ジャマル(ピアノ)、イスラエル・クロスビー(ベース)、ウォルター・パーキンス(ドラムス)
録音:1956年9月、10月
アーマッド・ジャマルは1930年生まれ。1951年に初リーダー作を録音し、1950年代はシカゴを中心に活動。と書くと「過去の人」のような感じですが、まったくそうではありません。ほとんどブランクなくコンスタントに活動を続けており、2019年にもアルバムをリリースしています。

やっぱりと書いたのは、実はマイルスはアーマッド・ジャマルに大きな影響を受けていて、ジャマルのレパートリーやアレンジをたくさん「引用」しているのです。マイルスの名演として知られる、キャノンボール・アダレイの『サムシン・エルス』での「枯葉」のベース・パタンはジャマル・トリオのアレンジが下敷きになっていますし、マイルスが1950年代後半に演奏した「ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン」「飾りのついた四輪馬車」「ギャル・イン・キャリコ」はジャマルのレパートリーでした。ということからも、マイルスの「グリーン・ドルフィン」はジャマルの演奏を多分に意識していたと考えられます。

アーマッド・ジャマルはそんなに影響力のある人なのでしょうか? 現在の認識では知名度はさほど高いとはいえませんが、50年代後半のアメリカではたいへん注目されていたジャズ・ミュージシャンです。1958年にリリースした『バット・ノット・フォー・ミー』は、当時ジャズではダントツのベストセラーになりました。発売から約2年半後の『ビルボード』誌(1960年11月7日号)の「Top LP’s」の「Essential Inventory(基本在庫)」チャート(というのがあるんですね。40週以上ヒット・チャート入りしたものをそこから外して、ジャンル不問で25位までランキングしたもの)で『バット・ノット・フォー・ミー』は23位、チャートイン86週と記載されています。この25枚の大半は映画音楽やミュージカルで、ジャズはこのアルバムのほかにはありません(ちなみに1位は『サウンド・オブ・ミュージック』オリジナル・キャスト版)。つまりこのアルバムは当時の「ジャズ」を代表する基本カタログであり、ジャマルはレコード店における「ジャズマンの代表」だったわけです。

アーマッド・ジャマル『バット・ノット・フォー・ミー』(アーゴ)
演奏:アーマッド・ジャマル(ピアノ)、イスラエル・クロスビー(ベース)、バーネル・フォーニア(ドラムス)
録音:1958年1月16日
アーマッド・ジャマルはこのアルバムがダントツで有名で、よくネット上情報には『ビルボード』誌のLPチャートで約2年に渡って10位以内にチャートインとありますが、本文にあるようにこのチャートはいわゆる「ヒット」チャートとは異なるもので、また「10位以内に」は明らかに誤りです。

「グリーン・ドルフィン」に話を戻すと、『Count ‘Em 88』はその『バット・ノット・フォー・ミー』の前のアルバムですが、人気の下地はあったはずなので、広く聴かれていたと思われます。マイルスの前には、さらに57年11月リリースの『ザ・ポール・ウィナーズ』の演奏があります。これも定番アレンジ=ジャマルのアレンジ。目をつけたのはマイルスだけではなかったのですね。

流れとしては、アービー・グリーンが楽曲を発掘→アーマッド・ジャマルがアレンジを補強→マイルス含むジャズマンが一斉に反応→アレンジ込みでスタンダード化というところではないでしょうか。後の時代になって振り返れば、マイルスの演奏は名演ゆえ目立っていますが、マイルスがこの演奏を取り上げなかったとしても、この曲はこのアレンジ込みでジャズ・スタンダードになっていたと思うのですが、どうかな。

『ザ・ポール・ウィナーズ』(コンテンポラリー)
演奏:バーニー・ケッセル(ギター)、レイ・ブラウン(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)
録音:1957年3月18日、19日
ザ・ポール・ウィナーズはその名の通り「人気投票首位者グループ」。「グリーン・ドルフィン」はマイルスより前に取り上げていますが、すでに完成形ともいえる「定番」アレンジによる演奏。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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