危篤の父市郎右衛門(演・小林薫)を見舞う栄一(演・吉沢亮)。

権力者大久保利通(演・石丸幹二)との確執、大阪出張、新たな女性との出会い、そして廃藩置県……。新政府は若さにまかせて、突っ走る――。

* * *

ライターI(以下I):鹿児島に岩倉具視(演・山内圭哉)と大久保利通(演・石丸幹二)が西郷隆盛(演・博多華丸)を迎えに行きました。西郷は戊辰戦争の後、鹿児島に戻っていたわけですが、この場面は3年前の『西郷どん』でも第40話で描かれました。

編集者A(以下A):『西郷どん』では主人公の西郷隆盛が鈴木亮平、大久保利通が瑛太(現・永山瑛太)、岩倉具視を笑福亭鶴瓶、島津久光を青木崇高という布陣でした。鹿児島で廃藩置県の話題が出るなど、『青天を衝け』とは雰囲気が異なり、ちょっとピリピリした感じでした。

I:雰囲気が違うのは当たり前ですが、『西郷どん』では、大久保、西郷、岩倉ら新政府高官らが廃藩置県を主導したように描かれています。一方の『青天を衝け』では、いかに実務を旧幕臣らが担っていたかを明確に描いています。目線を変えただけで歴史の風景はまったく別のものになってしまう好例ですね。

A:NHKオンデマンドで『西郷どん』40話を見直したのですが、『青天を衝け』と比較すると、シリアスな展開でしたね。一方の『青天を衝け』は渋沢(演・吉沢亮)ら旧幕臣が新国家建設に前向きに取り組んでいる。現在の情勢下では、「時が足りねぇ」って躍動する感じが受けるのでしょう。1996年の『秀吉』では「上げ潮じゃー」という秀吉の叫びが、2002年の『利家とまつ』では「百万石!百万石!」のシュプレヒコールが、人々の心を前向きにさせてくれました。シリアスな大河もいいですが、世の中を明るくする演出も力づけられますね。

I:ところで、大久保利通に関しては、地元鹿児島でも人気がない時代が長く続いたようですが、没後百年にあたる昭和54年に鹿児島市内に銅像が制作され、1990年の『翔ぶが如く』で鹿賀丈史が大久保利通を演じるなど、ここ数十年の間に大久保利通の評価は上がっていたのに、またぞろ人気が低下しちゃったら困りますね。

A:もともと大久保利通は、碁が好きな久光に取り入ろうとわざわざ碁を学んだというほど計算高かったといわれています。性格も冷徹だったといわれますから、そうした面が忌避される理由にもなっていたのかもしれません。

I:何度も繰り返しますが、渋沢が主人公のドラマで大久保が敵役になるのはしょうがないです。なにせお互い嫌い合っていたようですから。渋沢は後年、こんなふうに言ってます。「大久保利通公は私を嫌いで、私は酷く公に嫌われたものであるが、私も亦、大久保公を不断でも厭な人だと思つて居つたことは、前にも申述べて置いた如くである。然し、仮令、公は私に取つて虫の好かぬ厭な人であつたにしろ 公の達識であつたには驚かざるを得なかつた」(デジタル版「実験論語処世談」(渋沢栄一記念財団)より)。

A:嫌いな人だが、実力は認めるってことですね。同様に渋沢が嫌っていた勝海舟などはドラマに登場すらしていませんからね(笑)。

I:ところで、島津久光(演・池田成志)がまだ髷姿でした。

A:明治22年に亡くなるまで髷を落とさなかったようです。久光にとって明治維新とはなんだったのでしょうね。

新政府に呼ばれて上京した西郷隆盛(演・博多華丸)。

ぎりぎり表現で登場した渋沢栄一の女性問題

I:ところで、第30話では、大内くに(演・仁村紗和)との出会いが描かれました。針子をやっていたという彼女が、栄一の穴のあいた靴下を繕ってくれたことで、キュンとしたのでしょう。「激情的に」部屋に引き込みました。演出は、ティーンドラマのようでしたが……。わざわざ赤い糸で白い靴下をつくろうなんて、あざとい!って思いました(笑)。

A:数十年前の大河ドラマでしたら、もう少しストレートなラブシーンが登場して、小学生たちを困惑させたのでしょうが……(笑)。でも、あの引き込み方は、栄一が衝動的にキュンとなったことをうまく表現していました。あれが令和の大河ドラマのギリギリ表現なのでしょうね。そのシーンの前段でディーン・フジオカ演じる五代友厚が〈日本のおなごはよか。優しくて、懐が深か。ヨーロッパでは、日本のおなごが恋しゅうてたまらんかった〉と語りかけ、栄一が〈大いに同意します〉と応じていて、ジャブ程度の伏線を張っていました(笑)。

父・市郎右衛門の死と日本の底力

I:前週に江戸に出て来て栄一の自宅を訪ねたばかりの父渋沢市郎右衛門(演・小林薫)の危篤の報が栄一にもたらされます。とるものもとりあえず駆け付けた栄一を家族一同迎えます。

A:前週もそうでしたが、今や天子様にお仕えする身なのだからと、礼を失せぬように対応する姿が描かれました。『青天を衝け』紀行でも、父市郎右衛門が栄一ら子供たちに男女の別なく学問を教えていたことに触れていました。富農層とはいえ、江戸で経済的に疲弊していた旗本よりも、すべてにおいて律しながら暮らしていたのだと思われます。

I:武士層だけではなく、渋沢家のような地方の人々の厚みが、結果的に明治日本の浮上につながったんだと実感できるシーンでした。堅苦しいといえば堅苦しいですが、型を守る生き方を視聴者はどのように受け止めたでしょうか。

A:当時の日本には、富農でなくても通える寺子屋が広まっていましたから、『青天を衝け 紀行』の説明で改めて、教育の大切さを見せつけられました。

I:ところで、葬送のシーンで女性陣は白装束でした。このころはまだ黒=喪服ではなかったんですね。

A:黒が喪服として定着するのは明治以降、一般にも定着するのは昭和に入ってからのようです。

この時代の喪服はまだ白装束だった。

廃藩置県と新政府の若き面々

A:今回は明治4年に断行された廃藩置県についてもその過程が描かれています。奇しくも今年は廃藩置県150年。紀州藩など独自に近代化を進める藩と経済的に疲弊して廃藩を申請する藩などさまざまで、改革は急務でした。新政府側も反乱する藩も出てくるのではないかと警戒していたようですが、相対的にスムーズに事は運びました。

I:名外科医のメスさばきにかかると、ほんとうに傷が目立たないということを聞いたことがあります。新政府の迅速、的確なさばきで傷が広がるのを抑えたということでしょうか。

A:各藩が経済的に疲弊していたことが大きいですが、反対の手があがる前に事が済んでいたっていうくらい極秘裏に迅速にクーデーターのように事を進めたのが功を奏したのでしょう。平成の時代に「道州制」ということがいわれたりしました。その是非はともかく、今、都道府県制から道州制に移管するとなったら廃藩置県のように事は運ばないでしょうね。

I:とにもかくにも廃藩置県でできた3府302県は、明治22年の大日本帝国憲法発布までにほぼ現在の形に集約されていくということですね。

A:この明治4年の段階で、西郷43歳、大久保41歳、井上馨36歳、大隈重信33歳、渋沢栄一31歳、伊藤博文30歳(いずれも満年齢)。圧倒的に若い。

I:ちなみに発足したばかりの岸田文雄内閣の平均年齢は61.8歳だそうです。

●大河ドラマ『青天を衝け』は、毎週日曜日8時~、NHK総合ほかで放送中。詳細、見逃し配信の情報はこちら→ https://www.nhk.jp/p/seiten/

●編集者A:月刊『サライ』元編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』を足掛け8年担当。かつて数年担当した『逆説の日本史』の取材で全国各地の幕末史跡を取材。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。幕末取材では、古高俊太郎を拷問したという旧前川邸の取材や、旧幕軍の最期の足跡を辿り、函館の五稜郭や江差の咸臨丸の取材も行なっている。猫が好き。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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