大阪からやってきた身重の女性を快く受け入れる千代(演・橋本愛)。富岡製糸場、銀行設立、西郷との語り合い……。今週も渋沢栄一(演・吉沢亮)の活躍が描かれる。
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大阪のおくにと妻妾同居
I:第30話で出会った大内くに(演・仁村紗和)が妊婦になって再び登場しました。彼女は渋沢栄一(演・吉沢亮)の著名なお妾さんのひとりで実在の人物なんですよね……。
A:正妻の千代さん(演・橋本愛)公認で妻妾同居することになるんですね。現在の価値観では不倫ということになりますが、当時はあまり問題視されることはなかったのでしょう。ただ、来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれると思うのですが、夫の源頼朝が別の女性のもとを頻繁に訪ねていることを知った北条政子が、その女性の家を打ち壊させたというエピソードがあったり、将軍徳川秀忠が、正室お江に配慮して側室が生んだ男子(保科正之)を実子扱いしなかったりと、実は江戸時代以前は、女性の立場も強かったということも忘れてはいけません。
I:江戸幕府が儒教(朱子学)を重んじてから男尊女卑の風潮が強まったともいわれていますからね。ところで、渋沢栄一を語る書籍や記事で、栄一には、20人以上の子どもがいたともいわれていますし、50人とも100人いたという記事もあります。しかし、これはあんまりな表現だと思うのです。50人台でしたら、平安時代の嵯峨天皇や江戸幕府の将軍徳川家斉や徳川家慶などの先例がありますが、100人といったらなかなか先例が見当たらない。『青天を衝け』放映を契機に調査したほうがいいのではと思いました。
A:現代の価値観で是非を論じるのは慎みますが、渋沢栄一は、文字通り東奔西走、全国を仕事で飛び回ります。昼も夜も全身全霊で取り組むパワーやエネルギー。これには素直に敬意を表したいと思います。
I:私は、68歳の渋沢栄一がなじみの芸妓との間に子供を設けて「若気の至りで、つい」と頭をかいたというエピソードが好きです。
A:1908年生まれのその子が後年、渋沢の興した第一銀行の頭取にのぼりつめ、三菱銀行との合併を画策する。ところが、1969年元日付の読売新聞にすっぱ抜かれた末に、反対派の巻き返しにあってとん挫する。三菱銀行との合併に反対した勢力が、日本勧業銀行との合併を果たして、第一勧業銀行になり、その20数年後に日本経済を揺るがした金融不祥事の発端となる巨額不正融資を行なう――。 読売新聞社会部が著した『会長はなぜ自殺したか―金融腐敗=呪縛の検証』(新潮文庫)の受け売りですが……。
I:言わずもがなですが、第一銀行~第一勧銀は、メガバンクであるみずほ銀行の前身行のひとつ。渋沢栄一を源流とする「大河」は、今も流れ続けているということですね。
富岡製糸場とセットで訪れたい場所
I:尾高惇忠(演・田辺誠一)が初代工場長を務めた富岡製糸場の開業が登場しました。当初、工女らが集まらずに惇忠が自分の娘に頼み込んで工女になってもらうという史実に沿って描かれました。「西洋人に生き血を吸われる」ということが信じられたというのは時代の違いを痛感します。わずか150年くらいの違いなんですけどね。「写真を撮影すると魂が奪われる」というのもこの頃ですかね。工女には士族の子女が多かったようです。
A:前回も言いましたが、富岡製糸場は殖産興業、富国強兵という明治政府の基幹政策の支柱でした。劇中でも描かれた工場はほぼ往時の姿をとどめ、2014年に「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されました。
I:その富岡製糸場ですが、2014年度には133万人以上の入場者があったようですが、コロナ禍の昨年は17万人台まで減少して財政難に陥っているそうです。〈渋沢ファミリー〉に思いを馳せながら訪ねて、貴重な歴史遺産の維持につなげたいですね。
A:富岡製糸場から約30㎞、車で一時間弱の高崎市倉渕町権田には『青天を衝け』でも登場した小栗上野介(演・武田真治)最期の地があり、東善寺には墓所があります。ぜひともセットで訪ねていただきたいですね。ここは上野介の領地があった場所で、行ってみればわかりますが、田園風景が広がる長閑な場所です。新政府は、ここで蟄居していた小栗をたいした取り調べもせずに斬首します。私は、この地を実際に訪ねてみて、新政府の仕打ちの残酷さ、非道さを思い知らされました。
I:小栗の墓所のある東善寺のご住職は小栗上野介研究で知られた方です。小栗に関するさまざまな資料の展示もありますね。いずれも「魅力度ランキング」が44位に下がったということで知事が激怒して話題になった群馬県です。
情実採用も横行した新政府
I:渋沢成一郎(演・高良健吾)が釈放されて栄一のもとを訪ねるシーンがありました。ほんとうにこの頃は、ちょっとしたタイミングの違いで、その後の人生に大きな違いが生じたんですね。
A:成一郎改め渋沢喜作が栄一の紹介で大蔵省に出仕したということでした。新政府が人材難だったことにはすでに触れましたが、同時に縁者を優先する情実採用も常態化していたようです。喜作がどうだったかはわかりませんが、大して優秀でもないのに採用された人も多かったみたいです。
I:え? あの場面からそういうことを連想しますか?
A:熊本藩出身の井上毅(こわし/後に枢密顧問官、文部大臣を歴任)などが早くからその弊害を指摘していたようですが、最初の文官試験実施は明治21年まで待たねばなりませんでした。記念すべき最初の文官試験を受けたのは36名(出願は41名)。筆記試験と口述試験を経て合格したのは9名で、首席合格は福島県出身の大内丑之助。司法省判事などを経た後に、植民地官僚として台湾総督府参事官、関東都督府外事総長などを歴任したようです。
I:一般にはほとんど知られていない名前ですね。どのような思いで試験を受けたのか興味があります。将来小説やドラマの主人公になったりするかもしれないですね。
西郷隆盛、栄一の自宅を訪う
I:西郷隆盛(演・博多華丸)が栄一の自宅に現れました。
A:渋沢栄一は、幕末から西郷と豚鍋を囲んだりしたこと、西郷が「戦が足りぬ」と言っていたことなどを証言していますし、明治4年頃にふらっと栄一宅に現れたことにも言及していますね。その時は相馬藩の興国安民法についての相談に訪れたようですが、西郷は、岩倉具視に宛てた書簡で新政府のあり方に関して不満を吐露していたようですから、栄一とのやり取りでも、そんな不満も語り合っていたのかもしれませんね。
I:西郷隆盛と豚鍋を囲んだ経験があるとは、ほんとうはすごい経験ですよね。大久保利通(演・石丸幹二)のことは嫌っていた栄一ですが、西郷のことは慕っていたようですね。
A:さて、今回は三井、小野組に銀行を設立する場面が目を引きました。いろいろやり取りがあったのでしょうが、飴󠄀と鞭で表には出せないやり取りもあったのではないかと推測します。
I:私は、「bank」を「銀行」に翻訳するシーンが面白かったです。銀座とか銀シャリとか日本人は「銀」が好きですよね。
A:「bank」を「銀行」としたのは中国の方が早かったという研究もあるようです。ちなみに日本銀行のホームページでは次のように説明されています。〈「銀行」という名前の由来は、明治 5(1872)年制定の「国立銀行条例」の典拠となった米国の国立銀行法(「National Bank Act」)の「Bank」を「銀行」と翻訳したことに始まります。翻訳に当たり、高名な学者達が協議を重ね、お金(金銀)を扱う店との発想から中国語で「店」を意味する「行」を用い、「金行」あるいは「銀行」という案が有力になりましたが、結局語呂のよい「銀行」の採用が決まったといわれています〉――。
I:語呂が良いって……。それは後付けのような気もしますね(笑)……。
●大河ドラマ『青天を衝け』は、毎週日曜日8時~、NHK総合ほかで放送中。詳細、見逃し配信の情報はこちら→ https://www.nhk.jp/p/seiten/
●編集者A:月刊『サライ』元編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』を足掛け8年担当。かつて数年担当した『逆説の日本史』の取材で全国各地の幕末史跡を取材。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。幕末取材では、古高俊太郎を拷問したという旧前川邸の取材や、旧幕軍の最期の足跡を辿り、函館の五稜郭や江差の咸臨丸の取材も行なっている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり