NHKの公式発表もありましたが、大河ドラマ 『麒麟がくる』 が、来年2月まで放送延長が決定となりました。今後の放送では、数々の見せ場、エピソードが余すことなく描かれるのでしょうから、俄然、これからの展開に期待が高まりますよね。

未だ収まりきらないコロナ禍の中、光秀ゆかりの地を訪ねておられる方もいらっしゃることでしょうが…、自粛をし、行けていない方も多いと思います。そこで、サライ.jpが皆様に代わって動画でレポートをいたします。可能な限り、現地の臨場感をお伝えしますので、お楽しみください。

今回は、坂本城趾を訪ねるとともに明智光秀にまつわる史跡を訪ねてみました。イエズス会の宣教師ルイス・フロイスが残した『日本史』によれば、光秀は「築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持主」と評され、「かの大湖のほとりにある坂本と呼ばれる地に邸宅と城塞を築いたが、それは日本人にとって豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった」と記されています。

現在、坂本城の遺構らしきものはまったくと言っていいほど残っておらず、その姿を見られないのは誠に残念なことです。しかし、光秀の偉功を物語る史跡や空気感が、今も坂本の町のそこかしこに残っています。光秀の足跡の残る坂本の地を取材しておりますので、動画でご覧ください。

■戦国時代のロマンを感じさせる、坂本城

坂本城址公園には光秀の像が立つ。城のあった場所も今では住宅地に。

坂本の地は、比叡山の門前町として古くから栄えていました。しかし、信長の比叡山焼討ちによって荒廃。

その後、信長は、比叡山の監視目的と、京都と近江を結ぶ滋賀郡を軍事的に掌握するため、光秀に坂本城の築城を命じたとされています。また、琵琶湖南部の制海権確保のため、坂本城は琵琶湖に面した水城(みずじろ)となりました。

この坂本城ができたことにより、再び坂本の地は復興・繁栄を遂げています。

右手奥に見える小高い山影が近江富士、その左側に安土城がありました。

水城であった坂本城と安土城は水路で結ばれていたことが、津田宗及(つだそうぎゅう)の『天王寺屋会記』に記録されています。「御座船ヲ城ノ内ヨリ乗リ候テ、安土ヘ参リ申シ候」。このような資料から、この時期の信長と光秀の関係の親密さもうかがい知ることができるのではないでしょうか。

■今も残る、坂本城の遺構を求めて…

坂本城の遺構はまったくと言っていいほど残されていないと先述しましたが、いくつかは現存しています。坂本の地で今も見られる、坂本城の面影をご紹介しておきましょう。

▷光秀が帰依した寺、西教寺の山門

坂本城から移築されたと伝わる総門。

西教寺(さいきょうじ)は、天台真盛宗総本山で聖徳太子が創建したと伝えられる古刹です。信長による比叡山焼き討ちにより、惨禍を被りましたが、寺の復興を助けたのが光秀でした。

境内には光秀の妻・煕子(ひろこ)や明智一門の墓があります。また、明智光秀公資料室には、光秀直筆の書状「供養米寄進状」など数々の貴重な資料が展示されています。

毎年、6月14日には明智光秀公御祥当法要があり、今も光秀を敬い奉っています。

▷衆生來迎寺の表門

こちらも坂本城の移築とされている。重要文化財にも指定されている。

坂本城址公園から1キロメートルほど北にある衆生來迎寺(しょうじゅらいこうじ)でも坂本城の面影が感じられます。寺伝では最澄(さいちょう)の創建です。織田信長による焼き討ちの際は、森蘭丸(らんまる)の父である森可成(よしなり)の墓があったために難を逃れました。

旧国道161号に面した表門は、坂本城の門を移したとされています。堂々とした白壁の塀とともに気品を感じさせます。

■信長家臣団の中において、誰よりも早く一国一城の主にのし上がった

坂本の町は、石積みの町で風情がある。

吉田兼見の『兼見卿記』によれば、坂本城は1572年12月に完成したようです。光秀はこの時、信長の家臣の中で譜代のメンバーを差し置き、誰よりも早く一国一城の主となっています。二番手は長浜城を築いた秀吉でしたが、坂本城が建ってから二年後のことです。

光秀は坂本城で、吉田兼見や茶人の津田宗及らと、茶会や連歌会を催し、我が世の春を謳歌。築城から十年後、本能寺において謀反を起こすことになるのですが…、坂本城の城主となった頃の光秀には、「謀反を起こす」などということは頭の片隅にさえ無かったのではないでしょうか。そして、山崎の合戦において光秀が敗れたのち、坂本城は秀吉軍の包囲を受け、家臣によって火が放たれ焼失。

落城後、丹羽長秀が再建。その後、城主は幾度か代わり、大津城が築かれてから、坂本城は廃城となったと伝えられています。

坂本の地は、光秀が立身出世をし、長く城主を務め夢を果たした縁深き場所。この時、彼は我が世の春を謳歌し絶頂期を過ごしていたのかもしれませんね。そんな光秀を感じに、坂本の地を訪れてみてはいかがでしょう。

■アクセス情報

「坂本城址公園」
住所:滋賀県大津市下阪本3-1
京阪電車「松ノ馬場」下車、南東へ徒歩約25分

「西教寺」
住所:滋賀県大津市坂本5-13-1
京阪電車「坂本比叡山口」下車、北西へ徒歩約20分、または江若バス「西教寺」下車
拝観時間:9:00-16:30
拝観料:500円
HP:http://saikyoji.org

「衆生來迎寺」
住所:滋賀県大津市比叡辻2-4-17
JR湖西線 「比叡山坂本駅」 下車 徒歩 15分
拝観料:500円(事前申込)

取材・文/末原美裕(京都メディアライン)
撮影・動画撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com
Facebook:https://www.facebook.com/kyotomedialine/

 

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