明智光秀が初めて主人公になった大河ドラマ『麒麟がくる』。
『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』を上梓した三重大学・藤田達生教授もドラマの展開に期待する。
「信長の時代は、新旧真逆の価値観が社会を覆い、両者が激しく対立していました。本能寺の変を起こした光秀は、信長側からみれば謀反人ですが、室町幕府将軍・足利義昭側からみれば忠臣でした。これまでは信長側の視点からのドラマ作りが多かったのですが、光秀側の視点からドラマがどう描かれるのか興味深いです」
久方ぶりの本格戦国大河ということで、織田信長(演・染谷将太)、豊臣秀吉(演・佐々木蔵之介)、徳川家康(演・風間俊介)の三英傑が勢ぞろいする。
三英傑といえば、その性格をよく表しているといわれる〈鳴かぬなら~〉の歌がある。
鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス (信長)
鳴かぬなら 鳴かせてみようホトトギス (秀吉)
鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス (家康)
あまりにも有名な三首だが、いつ誰が詠んだ歌なのかは、実はわかっていない。
現在、わかっている範囲で、もっとも古くこの三首が紹介されているのが、江戸時代の旗本で勘定奉行、南町奉行を務めた根岸鎮衛(ねぎし・やすもり)が著した随筆集『耳嚢』(みみぶくろ)。天明年間(1781~1789)から約30年にわたって綴られたものをまとめたものだ。ホトトギスの歌は、こんな感じで紹介されている。
連歌 その心 自然に 顕わるる事
(歌には、詠んだ人の心情がそのままあらわれるの意)古物語にあるや、また人の作り事や、それは知らざれど、信長、秀吉、恐れながら神君ご参会の時、卯月のころ、いまだ郭公を聞かずとの物語いでけるに、
信長、
鳴かずんば 殺してしまえ時鳥
とありしに秀吉、
なかずとも なかせて聞こう時鳥
とありしに、
なかぬなら なく時聞こう時鳥
とあそばされしは神君の由。自然とその温順なる、又残忍、広量なる所、その自然をあらわしたるが、紹巴もその席にありて、
なかぬなら 鳴かぬのもよし郭公
と吟じけるとや。
『耳嚢』の作者・根岸鎮衛は、古い物語に記されている話なのか、作り話なのかわからないが、と断りを入れながら、信長、秀吉、家康に加えて連歌師の里村紹巴(じょうは)が一堂に会していたとする。「そんなことあるわけがない」とわかってはいても、三英傑が、順番にホトトギスの歌を詠む情景を想像するだけで楽しくなる描写だ。
旗本で奉行職を歴任した根岸だけに、家康に対して、〈恐れながら神君〉と最大限に敬意を表していること、家康は温順で、信長は残忍、秀吉は広量と評しているのも興味深いが、明智光秀が主人公の『麒麟がくる』が放映されるのを受けて、注目されるのが、この場に、連歌師の里村紹巴が同席しているとされていることだ。
里村紹巴といえば、本能寺の変で、明智光秀が亀山城を出陣する数日前に張行した連歌の会(いわゆる「愛宕百韻」)の参加者のひとり。旧作大河『国盗り物語』(1973年)では、光秀が〈時は今 雨が 下知る 五月かな〉と発句を詠んだ瞬間に、里村紹巴が、光秀謀反の決意に気づいたように描写されている。根岸鎮衛がなぜこの場に里村紹巴が同席している設定にしたのか、専門家による解明が待たれる。
●江戸末期の名随筆家・松浦静山が描いた「ホトトギス」
信長、秀吉、家康、三英傑のホトトギスの歌についての記述は、江戸末期の平戸藩主・松浦静山の随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』にも残されている。こちらは、文政4年(1821)から天保12年(1841)年の間に綴られたもので、前出の『耳嚢』より新しい時代に描かれたものだ。
夜話のとき或人の云けるは、人の仮託に出る者ならんが、其人の情実に能(よ)く恊(かな)へりとなん。
郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府
鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤
なかぬなら鳴まで待よ郭公 大権現様このあとに、二首を添ふ。これ憚る所あるが上へ、固(もと)より仮託のことなれば、作家を記せず。
なかぬなら鳥屋へやれよ ほとゝぎす
なかぬなら貰て置けよ ほとゝぎす
同じホトトギスを「時鳥」「杜鵑」「郭公」と書き分けているのは、大名きっての文筆家である松浦静山の遊び心だろうか。『耳嚢』よりもあっさりした書き方だが、〈憚るところあるが上〉と記された俗っぽい二首は、十一代将軍・徳川家斉作という説もある。事実とすれば、大名だけではなく江戸城にまで三首の歌が届いていたことになる。
いずれにしても、現代の私たちは、『耳嚢』で〈神君〉、『甲子夜話』でも〈大権現様〉と家康ファーストの時代に描かれた「徳川史観」による記述であることを銘記しておきたい。〈殺してしまえ〉と、その性格が残忍であるかのように表現される信長。もしかしたら、それが「徳川史観」による印象操作だとしたら?
何はともあれ、光秀目線で描かれる『麒麟がくる』でどのような信長が描かれるのか、注目したい。
文/一乗谷かおり