文/小坂眞吾(小学館プロデューサー・前『サライ』編集長)

東横落語会の十代目金原亭馬生。人情噺のイメージが強いが、寄席向きの軽いネタでは爆笑を取った。写真/横井洋司

噺家を他人と比べちゃいけません

落語というのは、噺家の個性を味わう芸だと私は思います。得意ネタの多くが三遊亭圓生とカブっていた八代目林家正蔵(彦六)。面白いはずの噺をぼそぼそと演じる八代目三笑亭可楽。彼らの芸にはしかし、独特の味わいがあり、上手下手という物差しでは測れない魅力があります。噺家は色とりどり。優劣をつけて論じること自体、意味のないことでしょう。

父・志ん生や弟・志ん朝と、つねに比較され続けた十代目金原亭馬生(1928~82)は、その意味では、とても損をしている落語家だと思います。なにせ個性を云々される前に、偉大な父やモダンで巧みな弟と比べられちゃうんですから。

コロナ禍で外出自粛と在宅勤務が続いた今年の春夏、私は東横落語会に残る馬生の音源105席を繰り返し聴く機会に恵まれました。おかげで、遠出できなくてもまったく退屈しなかったのですが、それはともかく……。

モラルなんて意味がない。
無責任きわまりない人物に託された馬生の諦観

馬生落語の登場人物には、世間的に見て超の付く「無責任」な人々がたくさん登場します。たとえば十八番の『ざる屋』の主人公。道を訊くのにわざわざ急いでいる人を呼び止めて、「ところであなた、なんでそんなに急いでるんです?」。縁起を担ぎたがる旦那の家に呼ばれて「住所は上野(下谷と言わない)」「名前は上田登」「どんどん上がるはしご酒」。口から出任せの軽口でちゃっかり祝儀をせしめちゃう。

『湯屋番』では、居候の若旦那が悪びれる様子もなく、わが身の待遇(ご飯を十分に食べさせてもらえない)を嘆き、ウグイスの捕獲法など絵空事の儲け話を延々と語る。『辰巳の辻占』では、いっしょに身投げしようと誓った男女が、夜で姿が見えないのをいいことに、石を海に投げて相手に音を聞かせ、心中したふりをする。ほかにも『お見立て』『文違い』など、廓噺では人を騙す噺を好んで演じていたフシがあります。

『もう半分』の酒屋の女房に至っては、客の爺さんが身投げしたと聞いて「もう大丈夫よォ」。人の生死にかかわることであっても、馬生の落とし噺の登場人物はあくまでドライ。その根底には、空襲や戦後の混乱をくぐり抜けてきた馬生の人間観が投影されているように思います。ギリギリまで追い詰められた人間にとって、モラルなんて意味がない。人間なんてしょせん弱いものだ、という諦観を感じるのです。

馬生は昭和18年に父・古今亭志ん生に入門。終戦直前に父が満州(現・中国東北部)へ渡ってしまい、戦後の混乱期に一家の暮らしをひとりで支えねばならなかった。 写真/横井洋司

「まァ、水を入れりゃア、水瓶ですねエ」
短いせりふに込められた馬生の工夫

こうした「無責任人間」の最たる例が、『肥瓶』に出てくる道具屋の主人。兄貴分が所帯をもったので、祝いの品を贈ろうと考えた男ふたりが、道具屋を訪ねて水瓶を買おうとする。しかし、ふたりの所持金はわずか50銭。そうと知って道具屋は呆れ返り、店の外に放ってあった肥瓶をすすめます。

ここでちょっと解説が必要なんですが、蛇口をひねれば水が出る今日と違って、昔の生活用水は汲み置きでした。だから水瓶は家の必需品。いっぽうの肥瓶というのは、当時の便所は自然落下貯蔵式で、定期的にお掃除の人が来て汲み取っていく、それを貯める瓶です。同じ瓶でも上水道と下水道ほどに違うわけです。という前置きをした上で……。

タダ同然の安さにふたりは驚喜し、肥瓶を買い求めます。『肥瓶』ではふつう、ここで道具屋が「水瓶に使っちゃいけないよ」と止めるのですが、馬生は違う。「洗えばきれいになる」「水を入れれば水瓶」と、水瓶として使われることを知りながら売るんです。なんたる無責任! 職業倫理の欠如! でもこれこそが、きれいごとでない、人間の本性を描く落語ならではの展開でしょう。

その一節をお聴き下さい。

■金原亭馬生 東横落語会音源『肥瓶』より、道具屋との交渉

「洗やァきれいになりますよ」というのはふつう、買う側のせりふです。それを道具屋に言わせることで、事件の首謀者に仕立て上げる。共犯となった男ふたりは、このあと痛いしっぺ返しを食うことになります。 道具屋の無責任な悪意、 共犯者だけが罰を受けるという皮肉。馬生の創意が存分に発揮された一席です。

CD20枚に50席、初出し46席。
過去に例のない規模の馬生音源集成

来春、東横に残された105席から50席を厳選してCD20枚に収録し、CDブックとして小学館から発売する運びとなりました。これだけ大規模な馬生音源の集成は、過去に例がありません。愛弟子の五街道雲助師と、録音エンジニアの草柳俊一氏による選定で、爆笑の滑稽噺から墨絵のような人情噺まで、いずれもが一級品。細部まで考え抜き、工夫を凝らした上で、まっさらな気持ちで高座に上がる、緻密かつ奔放な馬生の本領が、ここにあります。このCDブックをきっかけに、「志ん生の長男」でも「志ん朝の兄」でもなく、馬生が馬生として正当に評価されることを願いつつ、ただいま編集作業の真っ最中です。

CDブックの詳細はこちらへ

■『十代目金原亭馬生 東横落語会 CDブック』(2021年3月15日発売予定)https://www.shogakukan.co.jp/pr/basho/

 

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