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文/小坂眞吾(小学館プロデューサー・前『サライ』編集長)

東横落語会の十代目馬生。高座に火鉢と鉄瓶を置くのが東横の慣わしだった。
写真提供/美濃部由紀子

人情噺はもちろんいいけれど

昭和31年から約30年間、渋谷の東横劇場で開催されていた「東横落語会」。名人によるレギュラー制を採用し、ホール落語の名門とされたこの会に、十代目金原亭馬生は昭和43年、40歳のころからレギュラー出演し、圓生、小さんとともに会を支えました。馬生の東横音源は、確認できただけでも105席が残っています。コロナ禍で外出自粛が続くなか、これらの音源をじっくりと、繰り返し聴きました。

『お初徳兵衛』『お富与三郎』『柳田格之進』……。馬生の人情噺の美しさは、往年のファンにとって今も語りぐさです。昭和40年生まれで田舎育ちの私は、生前の高座にもちろん間に合ってなどいませんが、東横落語会に残された馬生の人情噺を聴くたびに、ああ、この場にいられたらどんなに幸せだったろう、と思わずにいられません。

ことにラストシーンの印象的なことと言ったら――。『お初徳兵衛』で大川に浮かぶ屋根船を描いて「いつまでも、いつまでも」というせりふ。『お富与三郎~島抜け』で、昇る朝日に向かって駆け出す与三郎。白と黒の碁石が畳に飛び散る『柳田格之進』。映画なら繰り返し観たくなる名場面ばかりです。

電車で聴いてはいけない、馬生の落とし噺

しかし、人情噺はそもそも数が多くない。東横に残された馬生の音源も、大半は落とし噺(オチのある噺、滑稽噺)です。馬生は落とし噺だけを「落語」と呼んで、人情噺と明確に区別していました。そして意外なことに、馬生の落とし噺がめっぽう面白いのです。

馬生の落とし噺の面白さには、大きくふたつの要因があるように思います。ひとつは前回『肥瓶』でご紹介したような、緻密な計算。もうひとつは、突然飛び出す「一発ギャグ」です。落語の世界では「くすぐり」とも言いますが、噺の本筋とは関係ないところで、突然、ワッというギャグを入れてくる。油断禁物。電車の中で初めて聴くのは、かなり危険です。もっとも、昨今はマスクをしてますから、以前ほど危険ではありませんが。

コーヒーひとつ、アメリカンで

例えば『青菜』。馬生の夏の定番ネタですが、植木屋が家に戻って、隠し言葉の意味を旦那から教わったとおりに女房に説明する場面。「菜がないと言うとふたり揃って赤い顔をする(恥ずかしい)だろ?」という旦那から受け売りを、女房は「ふんふん」と聞くのが普通ですが、馬生の場合は「どうして?」と突っ込みます。ここで客席に笑いが生まれますが、それを受けての亭主の答えは「それが俺にもわかんねえんだよ」。客席は輪をかけて大爆笑となります。

『お血脈』では、どんな悪人も極楽往生できるという判子を信濃の善光寺から盗み取るため、地獄から石川五右衛門が派遣されます。が、善光寺に行くとそこは現代で、五右衛門は喫茶店へ入って「コーヒーひとつ、アメリカンで」(客席爆笑)。食事を摂らず、酒ばかり呑んでいたとされる馬生ですが、夫人の料理はよく食べ、しかもサンドイッチなど洋食を好んだとか。洋風好きの一面が、このギャグに反映されています。

馬生一家の特殊な状況が「オッパイ」を生んだ?

長女で俳優の池波志乃さんと。馬生は父と対照的に家庭を大切にし、3人の娘とは対等に接した。
写真提供/美濃部由紀子

こうした一発ギャグで、ファンの間で語りぐさになっているのが『笠碁』の「オッパイ」でしょう。降り続く雨の中、喧嘩別れした碁敵がやってくるのを待ち続ける大旦那のボヤキ。その中に突然、オッパイが出てくるのです。

■金原亭馬生 東横落語会音源『笠碁』より「大旦那のボヤキ」

『笠碁』といえば、同時代に五代目柳家小さんも得意にしていました。今なお『笠碁』といえば、小さんと馬生が双璧とされています。そして馬生の『笠碁』をひときわ輝かせているのが「オッパイが大きいと思ってえばってる」というせりふなのです。いったいどこから思いついたのでしょうか。

馬生には、池波志乃さんを長女に3人の娘さんがおられます。この3人が治子夫人に似て、そろって美人で胸が豊か。しかも家の中では下着同然の姿で過ごしていたそうで、馬生は「お前たちのせいで、オッパイを見ても何も感じなくなった」とボヤいていたそうです。その感覚がある日、不意に噺の中に入り込んだのかもしれません。わが家もまったく同じ状況なのでよくわかるのですが、胸の大きな娘が下着同然でいると、父親としては「見せびらかしている」「いばっている」ように思えてしまうのです(笑)。

CD20枚に50席、初出し46席。馬生ルネッサンスに乞うご期待

何が飛び出すかわからない、袖(高座の脇)でハラハラしながら聴いてた――これはお弟子さんたちの証言です。せりふをあらかじめ決め込まず、登場人物の了見になりきることを第一にする。その結果、高座で突然、思わぬギャグが生まれる。その瞬間こそが、馬生落語の真に魅力的な瞬間だったのかもしれません。

来年の3月、東横に残る105席から50席を選んでCD20枚に収録し、小学館からCDブックとして発売することになりました。これほど大規模な馬生集成CDは、過去に例がありません。50席中、落とし噺が40席以上。すでに触れた『青菜』『お血脈』『笠碁』のほか、くすぐり満載の『垂乳根』『湯屋番』、キャラクターが出色な『ざる屋』『そば清』『酢豆腐』など。ギャグの不意打ちを喰らった1000人近い観客の爆笑は、ホール全体が揺れているかのようです。従来の馬生のイメージを覆す、奔放なくすぐりの数々。このCDブックをきっかけに、馬生の芸が再び脚光を浴び、正当に評価されることを願いつつ、取材・編集に没頭しています。

CDブックの詳細はこちらへ
■『十代目金原亭馬生 東横落語会 CDブック』(2021年3月15日発売予定)https://www.shogakukan.co.jp/pr/basho/

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