※この記事は『サライ』本誌2020年8月号より転載しました。
長年にわたってラジオ、テレビの世界で活躍し、名作詞家として知られた永六輔は、作家の顔も有していた。ベストセラーとなった『大往生』をはじめ、多くの著作を残した。
自身のことを、しばしば「旅の坊主」とか「遊芸渡世人」と称した。東京・浅草の寺院の次男坊として生まれ、中学時代からNHKラジオ『日曜娯楽版』にコントの台本を投稿しはじめ、放送界に入る。20代の頃、民俗学者の宮本常一と出会い、こんな助言を受けた。
「スタジオでものを考えないこと。電波が届くその先に足を運び、そこで得たものをスタジオに持ち帰って発信しなさい」
この言葉を胸に、その後長年にわたって全国を旅し続けた。行く先々で、「立て板に水」の語りで人々を魅了する一方、伝統芸能や芸人を発掘、市井に生きる人々の言葉をすくい上げ、ラジオ番組や自著で紹介した。
テレビにも草創期から関わり、中村八大らとの出会いを経て『上を向いて歩こう』『黒い花びら』など数々のヒット曲の作詞をした。自身の名を冠したラジオ番組は半世紀続き、最終放送は平成28年6月27日。その10日後に83歳で没。長く多彩な活躍だった。
そんな永六輔は読書家でもあった。自宅書斎には机を囲むようにずらりと書棚が並び、本や資料であふれていた。
露伴の『五重塔』を愛読
「蔵書は、おそらく1万冊ほど。分厚く、黄ばんだ、いかにも貴重そうな本が多かった。内容は、日本の文化や民俗、歴史に関するものが多く、親交があった宮本常一さんの本や、小説でいうと幸田露伴の『五重塔』などを愛読していたと聞いています」
永六輔の孫で『大遺言』の著書もある永拓実さんは、そう話す。
「祖父は“言葉の職人”ともいわれていました。僕の前では、読むというより書くことに忙しかった印象ですが、たくさんの優れた言葉を読まないと、自分が優れた言葉を書くこともできないはずなので、祖父はやはり多くの本を読み、多くの言葉を見聞きしていたのだと思います」
活字離れがいわれて久しいが、拓実さんは本好き。今後もより能動的に自分を変容させるような体験をするため、読書をしていきたいという。そんな感性も、祖父が孫に遺した贈り物かもしれない。
永六輔(えい・ろくすけ 1933~2016)東京生まれ。『遠くへ行きたい』『無名人名語録』『大往生』『職人』『芸人』『妻の大往生』など、共著・編書を含めると200冊以上の著作を残した。
※この記事は『サライ』本誌2020年8月号より転載しました。(取材・文/矢島裕紀彦)