取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆

食事は3食とも炊事当番が作り、弟子たちと一緒に摂る。寝食を共にすることで技に加えて、人間育成もできるという。

【小川三夫さんの定番・朝めし自慢】

前列中央から時計回りに、ご飯、納豆、沢庵、生卵、ふりかけ(緑黄色野菜・のりたま・小魚の原料ふりかけ)、日本茶、味噌汁(キャベツ・油揚げ)。ふりかけは5~6種類を常備し、そのうち好みの2~3種が食卓に。

前列中央から時計回りに、ご飯、納豆、沢庵、生卵、ふりかけ(緑黄色野菜・のりたま・小魚の原料ふりかけ)、日本茶、味噌汁(キャベツ・油揚げ)。ふりかけは5~6種類を常備し、そのうち好みの2~3種が食卓に。

修学旅行で見た奈良・法隆寺の五重塔が、その後の人生を決めた。昭和40年、高校2年の時である。

「ロケットが月や宇宙に行く時代に、1300年ももつ建物を作ることのほうが、大学に行くよりすごいことに思えました」

と、小川三夫さんが当時を振り返る。栃木県の進学校を卒業して宮大工を志し、法隆寺棟梁の西岡常一さんの門を敲く。西岡さんは“法隆寺には鬼がいる”といわれた、名人にして怖い棟梁だ。だが、断られる。“仕事がない”“18歳では遅すぎる”というのが、その理由だった。

薬師寺で唯一、創建当時から1300年の時を経て現存する東塔。それを実測する西岡常一棟梁と小川三夫さん。小川さん、24歳の頃。その後の同寺西塔・金堂再建では副棟梁を務めた。

薬師寺で唯一、創建当時から1300年の時を経て現存する東塔。それを実測する西岡常一棟梁と小川三夫さん。小川さん、24歳の頃。その後の同寺西塔・金堂再建では副棟梁を務めた。

長野県・飯山の仏具店、島根県・日御碕神社、兵庫県・豊岡の酒垂神社などで修業しながら、西岡棟梁の弟子になれる日を待った。昭和44年、奈良・法輪寺三重塔の再建が始まり、ようやく西岡棟梁から内弟子になることを許される。

棟梁の門を敲いてから4年目の春、入門が許された。上は兵庫県・豊岡にいた小川さんに届いた西岡棟梁からの手紙。<何時でも御出で下さい>と綴つづられている。昭和44年2月だった。

棟梁の門を敲いてから4年目の春、入門が許された。上は兵庫県・豊岡にいた小川さんに届いた西岡棟梁からの手紙。<何時でも御出で下さい>と綴られている。昭和44年2月だった。

「この時、棟梁からいわれたのは“1年間はラジオも聞かなくていい、テレビはいらん、新聞も読まなくていい。大工の本も何も読む必要ない。ただひたすら刃物を研げ”でした。内弟子ですから棟梁の家族と一緒に暮らしながら、それを守りました」

翌年の薬師寺三重塔の学術模型作りに始まり、同寺の金堂や西塔再建と、西岡棟梁の技を身近で見て宮大工としての腕を磨いた。

昭和52年、30歳で独立して『鵤工舎(いかるがこうしゃ)』を設立。古技法を伝承しつつ、弟子を育成してきた。今、ここから巣立った宮大工は全国に100人以上いるという。

健康の秘訣は粗食にあり

栃木の田所作業所で弟子たちと一緒に朝の食卓に着く小川三夫さん。右列の4人が今年4月に門を敲いた 新人だ。昼食は岩舟作業所の弟子たちも加わり、総勢20人ほどになる。

栃木の田所作業所で弟子たちと一緒に朝の食卓に着く小川三夫さん。右列の4人が今年4月に門を敲いた新人だ。昼食は岩舟作業所の弟子たちも加わり、総勢20人ほどになる。

『鵤工舎』の食事は規則正しい。朝食6時、昼食は正午、夕食は午後6時だ。その他、午前10時と午後3時におやつの時間がある。

「独自の徒弟制度のもと、共同自炊生活です。炊事当番は新人が担当し、先輩を見習いながらご飯を炊き、味噌汁を作っていますよ」

午前10時と午後3時の2回、作業所にある休憩室でおやつを摂る。手製の木箱にクッキーやあられ、果物などが用意されている。飲み物はコーヒーや紅茶、日本茶など。

午前10時と午後3時の2回、作業所にある休憩室でおやつを摂る。手製の木箱にクッキーやあられ、果物などが用意されている。飲み物はコーヒーや紅茶、日本茶など。

米を食べなければ元気が出ないと、朝食はご飯と味噌汁に納豆、卵という献立だ。1年で消費する米の量はひと袋30kgを60袋。地元・栃木県塩谷の旨い米である。

美食は外道。質素ではあるが、健康的な食生活で、宮大工としての体力を養う。寝食に加えて仕事も一緒。こうして頭も体も、宮大工のそれになっていくという。

図面を描くのも宮大工の仕事。作業所の2階で、弟子の工藤正雄さんが描いた図面を点検する。多くは語らないが、ひと言がヒントとなる。この図面を基に形板に原寸図を引く。

図面を描くのも宮大工の仕事。作業所の2階で、弟子の工藤正雄さんが描いた図面を点検する。多くは語らないが、ひと言がヒントとなる。この図面を基に形板に原寸図を引く。

組織は生もの、新風を入れないと腐ってしまう

『鵤工舎』には、奈良・斑鳩、栃木・田所と岩舟の3つの作業所があり、常に30人ほどの弟子がいる。親方としての役目は、西岡棟梁がしてくれたのと同じように、『鵤工舎』という育つための場所と、仕事という現場を用意して、肝心な時にひと押ししてやることだ。『鵤工舎』がこの40年で手掛けた堂や塔は100棟を超える。

「ここは学校ではなく、賃金をもらって働く会社でもない。自分の意志で学ぶところです」

というが、弟子たちの修業期間は、基本的に10年。最後の仕上げは現場の責任を負うことである。

60歳を機に、『鵤工舎』トップを長男に譲った。今、小川さんは図面を描くのが一番楽しいという。栃木県・矢板の寺山観音寺に5年後に着工予定のお堂の設計図を描く。

60歳を機に、『鵤工舎』トップを長男に譲った。今、小川さんは図面を描くのが一番楽しいという。栃木県・矢板の寺山観音寺に5年後に着工予定のお堂の設計図を描く。

「先輩たちが次々に席を譲ってくれたから、常に試練の状態が『鵤工舎』にはある。通常の組織ならベテランが抜けたら痛手だが、そういう組織は一度は栄えるが、必ず腐り始める。組織は生もの、新しい風が必要なんです」

『鵤工舎』の最新施工例。平成27年9月に竣工した龍源院(神奈川県座間市)の新築本堂。入母屋 造り本瓦葺き。建物の線の優しさ、80トンの瓦が載ってもそれを支えきる木組みに、小川さんの技が確実に継承されている。

『鵤工舎』の最新施工例。平成27年9月に竣工した龍源院(神奈川県座間市)の新築本堂。入母屋造り本瓦葺き。建物の線の優しさ、80トンの瓦が載ってもそれを支えきる木組みに、小川さんの技が確実に継承されている。

その言葉通り、自らも60歳を機に田所と岩舟を長男に、斑鳩を娘婿に引き継いだ。棟梁としての最後の仕事は、平成18年竣工の埼玉県行田市の長久寺本堂だ。これからは寺社の設計に打ち込みたいと、新しい夢を歩んでいる。

「道具を握っていると時間を忘れる」と、今の楽しみは家具製作や小物作りだ。棚には厨子と龍の置物、手には便利箱。左後ろは西岡常一棟梁が文化功労者に選ばれた時の写真。

「道具を握っていると時間を忘れる」と、今の楽しみは家具製作や小物作りだ。棚には厨子と龍の置物、手には便利箱。左後ろは西岡常一棟梁が文化功労者に選ばれた時の写真。

著書『不揃いの木を組む』は、多くの後進を育てた宮大工・小川三夫さんの金言の数数を紹介。『棟梁』は徒弟制度で弟子を育てた小川さんが、後世に語り伝える技と心のすべてを語る(いずれも塩野米松の聞き書き。文春文庫)。

著書『不揃いの木を組む』は、多くの後進を育てた宮大工・小川三夫さんの金言の数数を紹介。『棟梁』は徒弟制度で弟子を育てた小川さんが、後世に語り伝える技と心のすべてを語る(いずれも塩野米松の聞き書き。文春文庫)。

取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆

※この記事は『サライ』本誌2019年7月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。

 

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