取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
平安時代から脈々と続く京繍(きようぬい)。それを受け継ぐ京繍作家の創作意欲の源は、60代から始めた野菜中心の減塩朝食である。
【長艸敏明さんの定番・朝めし自慢】
日本刺繍の歴史は古い。京繡作家の長艸敏明(ながくさとしあき)さんが説明する。
「飛鳥時代に仏教伝来とともに繍仏(しゅうぶつ・刺繍で描かれた仏画)として大陸より伝わり、その技術が平安遷都に伴い京都にもたらされたのが、現在の京繍の起こりです」
昭和23年、その京繍の家に生まれた。高校卒業と同時に先輩の職人の下で修業しながら、立命館大学に進学。中学の同級生、純恵さんと結婚したのは21歳の時である。
「これで家業を継ぐという決心がついた。家内が京繍を始めたのは結婚してからやけど、僕の両親から毎日、直接教わってるから、職人歴でいうたら僕と同じくらい」
昔から「長艸繍巧房」は絵が描ける“繍屋”で有名だった。著名な日本画家を抱え、当時の図案が今に残るのが財産だ。敏明さんも日本画はもとより、茶道や書道、能、謡と、稽古事にも励んだ。
転機は、平成に入ってすぐのバブル崩壊とともに訪れた。それまでの問屋制度が崩れ、自分で道を開かざるを得なくなったのだ。そこで取り組んだのが創作活動だ。例えば能衣装なら、それまでの復元にとどまらず自らデザイン。
「繚乱」のように衣装全体に刺繍を施すという、新たなスタイルを提案したのだ。
この挑戦は海外でも評判となり、平成6年にはフランス・パリの古城で「小袖・能衣装展」を開催。翌年にはパリ・エルメス本店のディスプレイ刺繍も制作し、その精緻な美がパリの人々を魅了した。
体操、散歩、減塩朝食
「今も、僕はアーティスト(芸術家)とアルチザン(職人)の間を行ったり来たりしてます」
という敏明さん。朝は早い。午前5時15分起床。ストレッチ、ロングブレス体操、ゴルフの素振りの後、6時30分から神棚に参り、仏壇にお経をあげる。7時頃から自宅近くの北野天満宮を一周、40分かけて歩くのが日課だ。その後、朝食。昼は職人さんと一緒に、夜は外食も多いので、朝だけは夫妻揃って摂るのが決まりだ。
「気をつけているのは塩分を控えることと野菜をたっぷり。全体に出汁をきかせた薄味やさかい、少しの塩昆布で味にメリハリを」
という純恵さんの手になる朝食は、京都の滋味にあふれている。
千年以上続く京繡の伝統技術を保存し、後世につなぎたい
溜息が出るほど繊細で雅な京繍。その艶やかな美しさを肌で感じられるのが、長艸敏明・純恵夫妻の作品を展示、販売する『貴了庵』(見学は要予約。抹茶・和菓子付き1000円)だ。昭和初期の町家を改装したここは、坪庭から四季の色や光、風を感じることができ、京風情が色濃く残る。
敏明さんの重厚で伝統的な作品に対し、純恵さんのそれは女性的な魅力をもち、美しくも優しく、女性を中心とした愛好者が多い。また「長艸繍巧房」では、京都の祇園祭の屋台懸装品(水引幕)などの修復・復元や各種祭りの飾り幕など文化財の仕事や、能・歌舞伎の衣装制作も数知れない。
その一方、京繍の魅力を一般の人にも知ってもらいたいと東京と京都で京繍教室を開いてもいる。針を持ったことのない初心者も大歓迎。敏明さんと純恵さんが懇切丁寧に教えてくれる。
「今後も精進、修業を怠ることなく、千年以上続く京繍の伝統を守りたい。そのための後継者の育成と技術の保存が僕らの使命です」
古稀を迎えた今、その思いはひとしお強い。
取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
※この記事は『サライ』本誌2019年4月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。