日本を代表する夫婦漫才師、宮川大助・花子の花子さんが2019年に多発性骨髄腫を患ってから5年。完治しない病気と日々闘っている花子さんの闘病と、それを献身的に支える大助さんの日々を時にシリアスに、またユーモラスなタッチで、ありのままをつづった『なにわ介護男子』(主婦の友社)。厳しい病状も大変な介護やリハビリもユーモアに変えてしまうのは、日本の夫婦漫才を引っ張ってきたお二人ならでは。
「<なにわ男子>もカッコいいけど、<なにわ介護男子>も顔の大きさと年齢では負けてへんぞ、いや、カッコよさでも負けてないぞ、と世の中に伝えたい」と花子さんは言います。この本は、大助くんに、花子さんから贈る感謝状なのです。第1回目は、退院し、順調にリハビリに励んでいた花子さんが再び死の間に!? 緊迫状態をおもしろおかしく振り返ります。
退院までを描いた前作『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)と併せて読むのもおすすめです。
著/宮川大助・花子
なんばグランド花月「伝説の一日」
2022年4月3日、なんばグランド花月は特別な日を迎えていました。吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」の千穐楽です。それは、宮川大助・花子が3年ぶりに舞台に登場する日でもありました。マネージャーに「110周年特別公演に何らかの形で出たい」と伝えていたら、吉本新喜劇にゲスト出演することになったんです。漫才ではないけれど大切な、なんばグランド花月の舞台。普通に出るだけではつまらないと考え、車椅子をフェラーリ風に加工してもらって華やかに登場することにしました。役柄は、反社会勢力の大物です。
「どうもー! 皆さーん」
舞台に出て大きな声であいさつすると、会場からは大きな拍手です。みんな、待ってくれてはったんや。胸がいっぱいになりました。
「ここ3年ぶりやわあ。私のこと知ってはりますか? 宮川大助・花子と申します。じつは、ちょっと入院してたんです。110周年特別公演ということで呼んでもらいまして、一人でいいって言ったんですけど、うちの夫もついてきて。うちの夫、ご存じですか? 大谷翔平です。二刀流なんですよ。畑もするし庭掃除もするし、本職は何やっているのか知らんけど」といつもの調子でしゃべったら、お客さまがものすごく喜んでくださって。うれしかったですねえ。
3月の4回目のPET検査では、8カ所あった腫瘍が全部消えていました。主治医の天野先生からも「寛解状態になった」とお墨付きをもらい、ほっと安心していた時期です。地道なリハビリのかいあって、ゼロだった握力も10kgほどになっていました。ちょうど前著『あわてず、あせらず、あきらめず』を出版した時期でもあり、4月24日には出版記念講演会も開きました。4年ぶりの一人での講演も、予定の30分を大きく超えて40分以上ずっとしゃべりっぱなし。続けて大助くんとの二人トークも無事にこなすことができ、自分の体力に少し自信がもてるようになっていました。家の中でも一人でトイレに行くのはもちろん、自分の足で2階にも上がれるようになり、センターマイクに立つ日も近いと希望がふくらんでいたのです。
そんなふうに体調がよかった頃、未来の私に向けてこんな手紙を書いていました。今読むと、ひたむきな祈りがこもっていて自分がいとおしくなります。ちょっと紹介させてください。
「少し未来(先)の自分へ。」
花子さん、少しはお手紙を書く手は震えていませんか。
入院したときは握力ゼロで手を握ることもできなかったね。
少しずつリハビリ(作業療法)してペンが持てるように。
最初、名前も書けなかったときは、ええーっと落胆するばかり。
今は綺麗に書けてるように祈ってます。
脚のほうは、筋肉痛で毎日痛がってましたが、これもリハビリ。
少しは歩けてますか。
痛みと苦しみの連続だった日々から少しは解放されているといいけど…。
きっとあなたのことだから、それも笑って乗り越えてきたんだと思う。
コロナも終息して、今は映画を見て、楽しくショッピング、お芝居観て、食事会。
仲間とわいわい楽しくしているんでしょうね。
お仕事、講演会にて病気のことを自慢げに話しているんやろうね。
平穏な日々を送りながら生きている。あなたがそこにいる。
家族、仲間、人に感謝しながら生きている。
あなたが…そして今も戦い続けている。
あなたが。
(2022年2月27日 午前6:14)
心肺停止寸前。「花子、がんばれ!」
しかし、少し先の自分を待っていたのは、「平穏」とは真逆の日々でした。8か月後の10月29日のこと。ベッドに横になっていると、ものすごく胸が苦しいんです。大助くんに頼んで車椅子に乗せてもらいました。不思議なことにストーブの前に座っていると、胸が少しスーッとして「あれ? 大丈夫かな」と。理屈はわかりませんが、空気が温もってスチーム状になり、吸い込みやすくなるんでしょうか。でも、またベッドに横になると苦しい。耐えられないくらい苦しい。まったく息ができず、海の底で溺れ死にしそうな感じです。私が呼吸困難に陥っている様子を見て、大助くんが「これは、あかん」と慌てて救急車を呼んでくれました。救急車に乗るなんて初めてのことです。救急隊員の方々が家に来たところまではわかっていましたが、それからの記憶はまったくありません。のちに聞いた話だと、一緒に乗り込んだ大助くんは、私の手をギューッと握り、「花子、がんばれ! 花子、がんばれ!」と大声で励まし続けていたそうです。その声が救急車のスピーカーから外にガンガン響いていたというんですから、えらいことです。折しも、統一地方選挙に向けた選挙活動の真っ最中。私が立候補していると勘違いした人もいたんでしょう。開票してみたら「宮川花子」に3票入っていたそうです(笑)。
というのは、のちに作った漫才のネタですが、大助くんが叫んだのはほんまの話。嫁が抗がん剤の副作用で肺に水がたまり、死にかけていたんですから、動転するのも無理はありません。奈良県立医科大学附属病院に担ぎ込まれたときは、心肺停止寸前・意識不明という、これ以上ないほど深刻な状態でした。目を覚ましたのは3日後。気がつくと、集中治療室(ICU)のベッドの上でした。当時は、コロナウイルス感染予防のために家族との面会は一切禁止です。それがわかっているのに大助くんは毎日、病院にやってきては、居ても立ってもいられない様子でウロウロしていたそうなんです。見かねた先生が「花子さんに伝言があれば伺いますよ」と声をかけてくださったみたい。大助くん、うれしかったんでしょうね。メッセージを預けて、ようやく安心して帰っていったそうです。その先生がICUに来て、「大助さんから、ご伝言を預かりました」と神妙な顔でおっしゃるから、何かあったのかとドキドキしながら「はい、お願いします」と言うと、「オリックスが優勝したよ」。
は?
確かに救急搬送されるまで二人で日本シリーズのヤクルト対オリックス戦を見てました。見てましたけど、心肺停止の状態で救急搬送され、生きるか死ぬかをさまよって、ようやく意識が戻ったばかりの嫁にそんなこと言います? それも毎日病院に通ってきて、なんとか会えないかとウロウロして。後日、「なんであんなこと言ったん?」と聞いたら、まじめな顔で「気になっているやろうから、ちゃんと教えておいたほうがええと思って」ですって。おかしいでしょう。どれだけ深刻なときでも、あの人といると笑ってしまうんです。
多発性骨髄腫ってどんな病気ですか?
血液のがんのひとつです。血液細胞のひとつである「形質細胞」が、がん化して異常細胞(骨髄腫細胞)になることで起こるもの。「形質細胞」と言ってもピンとこないかもしれませんが、じつは、とても重要な役割を担っています。それは、体内に入ってきた病原菌やウイルスなどの異物と闘う「抗体」をつくることです。ところが、これががん化すると異物を攻撃する能力のない抗体(M蛋白)をつくり続けてしまう。多発性骨髄腫とは、体のあちこちの骨髄で異常な形質細胞(骨髄腫細胞)と、役に立たない抗体(M蛋白)が増え続け、全身でいろいろな悪さをする病気です。
宮川大助・花子の人生劇場年表
1980年~1986年 数々の漫才コンクールや賞レースで新人賞・奨励賞を獲得。その人気を不動のものにする
1988年 花子 胃がんで手術・入院
2007年2月 大助 脳内出血で倒れて入院
2017年 大助 腰部脊柱管狭窄症で入院・手術、感染症で再入院・手術、グラム陽性菌敗血症で再々入院
2019年1月 花子 奈良県立医科大学附属病院にて多発性骨髄腫と診断される
2020年4月 花子 退院
2021年12月 奈良県生駒市・たけまるホールの寄席に夫婦で出演。2年半ぶりに舞台復帰
2022年4月 なんばグランド花月での吉本興業創業110周年特別公演にゲスト出演
2022年10月 花子 抗がん剤の副作用で肺に水がたまって心不全の状態となり、心臓カテーテル手術を受ける
2023年9月 花子 右の頭の骨に形質細胞腫が見つかり放射線治療のため入院
2024年4月 なんばグランド花月本公演に出演
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なにわ介護男子
著/宮川大助・花子
主婦の友社 1,650円
宮川大助・花子(みやがわだいすけ・はなこ)
夫婦漫才の第一人者。大助は1949年10月3日、鳥取県生まれ。会社員を経て、浪曲漫才の宮川左近に弟子入り。ガードマンの仕事をしながら100本の漫才台本を書く。漫才ではネタ作りとツッコミ担当。花子は1954年8月28日、大阪府生まれ。大阪府警に入庁後、チャンバラトリオに弟子入り。漫才ではボケ担当。76年に結婚、79年にコンビ結成。87年上方漫才大賞の大賞受賞。2011年文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞 大衆芸能部門、17年紫綬褒章。19年12月、花子が自らのがんを公表。2023年5月に大阪・なんばグランド花月に復帰。徐々にステージやテレビ、ラジオ出演を増やしている。著書に『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)ほか。