取材・文/坂口鈴香
沢登勇さん(仮名・58)は、将来妻とともに親の面倒を見るという約束で、自宅の建設費用を親が負担して同居した。ところが、妻は両親が歳を取ってもまったくかかわろうとせず、両親はサービス付き高齢者向け住宅に入居した。その後、自宅に戻りたいと切望する父親だけを自宅に呼び戻したものの、サ高住に残った母親は急激に衰えてあっけなく亡くなってしまった。
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家族の情はないのか
自宅に戻ったときは元気だった父はその後に認知症を発症し、排泄を失敗したり、一人で外に出て沢登さんが探し回ったりすることがたびたび起こるようになった。
父を自宅に戻すことに同意したはずの妻は、沢登さんが父親の介護で疲弊しているのを見ても相変わらず「我関せず」だった。
「食事だけは作ってくれていましたが、あとは自室にこもって、父とは顔を合わせようともしませんでした。休みの日は私が食事を作って、父と食べるようにはしていましたが、家を建てるときの約束はどこに行ったんだと憤りが抑えられません。金を出してもらうときだけ良い顔をして、親が弱ったときくらい何かしてくれてもいいんじゃないかと思います。家族としての情はないのかと」
何もしないだけではない。父親の私物が共有部分にあることさえ「鬱陶しい」と言い、捨てられてしまうのだと表情が曇る。
なぜ妻がそこまで親を拒否するのか、沢登さんには理解できない。特に両親とぶつかったわけでもないし、「そもそも何かあるほどの交流はなかったのだから」と自虐的に笑う。
沢登さんはこのままでは仕事も続けられなくなると思い、父親を有料老人ホームに入れることにした。父親はこのときも黙って沢登さんに従ってくれたのだという。いや、どこまで老人ホームで暮らすということを理解していたのかわからないというのが現実だろう。
「面会制限は今もまだ厳しく、月1回しか許されていません。家族に会えないせいか、認知症の進行も速い気がします。週に1回はオンラインで面会はしていますが、もう私の顔もわかっていないようで、反応がないのが悲しいです」
ホームの対応もおざなりな気がしてならないという。
「オンライン面会のとき、いつも同じ服を着ているんです。新しい服を持って行っても『そんなにたくさん必要ないです』と言われて……。身だしなみもちゃんと整えてくれていないのではないかと心配です。だからせめて面会のときは、近くの公園くらいには連れていってやりたいのですが、それもダメと言われます」
【母と一緒に暮らしたかった。次ページに続きます】