文/鈴木拓也
論語の「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」という有名な一節を挙げるまでもなく、昔から人々は、何かをしたり、達成するための指標として「年齢」を用いてきた。
逆に、それが足枷になることもある。その典型が、「もう〇〇歳なのだから」で始まるフレーズだ。「もう30歳なのだから結婚を考えないと……」のように、若い世代向けの言葉もあるが、シニア世代になると、それが桁違いに多くなる。
もう70歳なのだから、
派手な服装をするのはみっともない。
わがままを言ってはいけない。
分相応の暮らしをしなくてはいけない。
など。筆者なぞ、帰省するたびに老親からこうした言葉を聞かされるが、その中身のバリエーションは十指に余る。
年齢にとらわれない人は若く見える
この「もう〇〇歳なのだから」を「年齢呪縛」と表現し、いたずらに心の自由を奪おうとするだけだと説くのは、高齢者専門の精神科医である和田秀樹さんだ。
和田さんは、著書『心が老いない生き方―年齢呪縛をふりほどけ!―』(ワニブックスPLUS新書)の冒頭で、年齢呪縛に囚われたわれわれに次のように問いかける。
「もうこんな齢なんだから」と自分の実年齢を意識して暮らす人と、齢のことは忘れて好きなこと、やりたいことを追いかけて暮らす人がいます。どちらが毎日を楽しく、生き生きと暮らしているかは言うまでもありません。(本書17pより)
言われてみれば、まったくそのとおり。同窓会の席で、同じ年齢の者が何十人か集まると、年の取り方の個人差が大きいことにびっくりする。その中でも若く見える人はたいてい、自信の年齢は気にせず、わりと自由に生きている。
年上の元気な人と付き合う
年齢呪縛が骨の髄まで染みこんだ、筆者を含めた大多数は、どうすればそこから抜け出せるのだろうか?
和田さんは、本書の中で幾つかのヒントを教えているが、その1つが「自分より年上の元気な人と付き合おう」というもの。
あなたが自分の夢や計画を話すと「まだ若いんだからやってみなさい」と応援し、「いまは何でも便利になっているから大丈夫だよ」と励ましてくれます。
「もう少し若かったら私もやりたかったな」と羨ましがってさえくれます。こうなるとあなたも勇気が出てきます。(本書95pより)
和田さんにとって、そういった人の1人が東京大学名誉教授の養老孟司氏だ。和田さんより20歳以上も年上ながら、公私ともにバイタリティ溢れる活動をしているのは、みなさんご存知のとおり。「そんなすごい人は自分の周囲にいないよ」と最初から諦めず、町内会でもカルチャースクールでもいいから行動半径を広げ、1人でもいいから年上の元気シニアと仲良くなろう。
一方で、「齢を自慢し合うグループには近づかない」ようにと、和田さんは忠告する。例えば、聞かれもしないのに「オレは先月で80歳になったよ。まだ元気なつもりだけど、いつ何があってもおかしくない齢だな」と、わずかに年上なだけで、なんとなく上から目線の物言いをする人には要注意。
定年は人間関係リセットのチャンス
最近は定年後の孤独が、ネガティブな文脈でよく語られるが、脱・年齢呪縛の観点からすれば、必ずしも悪いことばかりではないという。
そもそも定年退職には、上下関係や同僚とのライバル心で窮屈なこともあった、職場からの解放という側面がある。「居場所がなくなった」という感覚が勝るかもしれないが、それはもしかすると、不自由な心の枷に慣れていただけかもしれないと、和田さんは指摘する。
数十年も続いてきた人間関係のしがらみをいったんリセットし、その上でなにか仕事を見つけることもすすめられている。
なぜなら、働く意欲もまた「心の若さ」だからだ。働くといっても、雇用関係にこだわらず、ご近所さんに必要とされる存在になるのでもいい。
どんな人にも何かしらの「年の功」はあります。たとえば漬物の得意なおばあちゃんが、近所の若いお嫁さんたちに乞われて教えるようなことでも、世間に背中を向けないで向き合っていることになります。
そのためには隣近所を含めてうわべの付き合いはあっさりと受け入れてください。(本書111pより)
名付けて「フリーランス老人」という自由な立場。しかし、この付き合いすらも避けてしまっては、「偏屈」であり、本当に孤立化してしまう。何か役割を頼まれたら、快く引き受け、あとは自分のペースでこなすようにしたい。きっと、「自分の齢でもみなの役に立つんだ」と気づき、それは年齢呪縛をほどくきっかけともなるはずだ。
このように和田さんは、本書を通じて、年齢に囚われがちなシニア世代にエールを送る。読んでいくうちに元気になって、何かしたくなる1冊だ。
【今日の健康に良い1冊】
『心が老いない生き方―年齢呪縛をふりほどけ!―』
文/鈴木拓也 老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った映像をYouTubeに掲載している。