火を使わぬ献立ながら、多種類揃うワンプレート朝食。加えて、果物と豆乳の甘酒スムージーが通訳案内士の健康の源だ。
【廣田聡さんの定番・朝めし自慢】
富山県に生まれ、横浜国立大学経済学部卒業後、ソニー株式会社に入社。以来34年間、事業・商品企画を始め、日米欧政府やWTO(世界貿易機関)などに、技術と法律のギャップを埋めるロビイングを担当してきた。けれど、仕事は“やり切った感”があり、定年を待つよりはと、56歳で早期退職を決意。第二の人生に選んだのが、全国通訳案内士であった。
「ソニー時代には米国やシンガポールに10年間駐在。また5大陸、50か国以上を訪問しました。いずれの国でも現地の人たちに助けられた。その恩返しをしたい、日本文化をわかりやすく伝えたいとの思いから、退職と同時に全国通訳案内士資格を取得したのです」
その後は日本文化体験交流塾で講師を務めたり、また欧米豪の富裕層向け旅行企画・営業を立ち上げ、売り上げを3倍に伸ばした実績も。同交流塾で5年ほどの経験を積み、2019年4月に通訳ガイド業として独立したのだった。
酢ピーナッツを20粒
ソニー時代は朝のラッシュ時を避け、早朝出勤が常であった。その頃から食事は少量多種を心がけているが、朝食に火を使う料理は登場しない。
「トーストと酢ピーナッツ、茹でておいたブロッコリー、茸のオーブン焼き、コーヒーはその頃からの定番。毎朝20粒ほど食べる酢ピーナッツは、血圧を下げて悪玉コレステロールを減らすと聞きますし、噛む力もつきます」
と、冬日夫人が語る。ちなみに、冬日さんは米・ニューヨーク滞在時にはカステラやどら焼きも手作りしたという料理上手だ。
甘酒に豆乳と果物を加えた甘酒スムージーは、6年ほど前からの朝の新定番。当初、甘酒は白米で作っていたが、昨年、プレタス黒米に出会い、今では廣田家で甘酒といえば紫色だ。甘酒スムージーを飲み始めてから、夫妻ともに風邪を引かなくなったという。
コロナ禍によるステイホーム中、60歳過ぎて料理と翻訳に挑戦
昨春からのコロナ禍によるステイホーム中に、新しく挑戦したことがふたつある。ひとつは料理だ。
「シニア料理家の小林まさるさんの著書『人生は、棚からぼたもち!』を読んで刺激を受け、“男の料理”に目覚めました。お嫁さんの料理研究家、小林まさみさんもそうですが、入手しにくい食材や調味料がなく、料理の敷居がずいぶんと低くなりました。それまで家事といえば、湯を沸かすぐらいだったんですが……」(笑)
パンを焼き始めたのも同時期だ。パンも料理も家族に好評とあって、今では週2日ぐらいは夕食を担当しているという。
もうひとつの挑戦が、ビジネス関連の書物の翻訳である。
「30年以上ビジネスの世界にいたし、英語ができれば翻訳もできると考えたのが甘かった。私は正確さを最優先していたのですが、翻訳に必要なのは英語や正確さより、より魅力的な日本語だと知りました。読者を惹き込む翻訳とは、日本語力に尽きるのです」
といっても諦めたわけではない。生来のポジティブ思考、60歳過ぎての挑戦に終わりはない。
※この記事は『サライ』本誌2021年9月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。
( 取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆 )