世界的な舞台衣装デザイナー。その好奇心と行動力の源は、朝のトースト、バター、蜂蜜、コーヒーの4点セットである。
【時広真吾(ときひろしんご)さんの定番・朝めし自慢】
唯一無二の舞台衣装デザイナー、時広真吾さん。その独自のスタイルは、“風を纏う衣装”、“格闘する衣装”などと評される。
「私の衣装はその役に対して創っている。いくら有名な俳優さんが出ていても、その役者さんのためには創らない。たとえばリア王の衣装デザインをする場合、私が聞こうとするのはシェイクスピアの声。彼が“時広、お前は私のリア王のために、こんな衣装を創ってくれたんだな”と喜んでもらえるものなのです」
1955年、山口県宇部市に生まれた。実家は5店のブティックを経営しており、幼少の頃から三宅一生や山本寛斎、芦田淳、森英恵、サン・ローランなどの洋服に触れて育った。その頃から絵を描くのが好きで、東京藝大を目指すも挫折。『万葉集』『古事記』『新古今和歌集』など古典が好きだったこともあり、日本大学の国文科に進む。
大学卒業後、ファッション・ジャーナリストとしてパリ・コレクションなどを取材した。
「黒を基調にした“カラス族”が流行する中、カラフルなスカーフを巻いて取材をしていた私に、ある人が声をかけてきた。“あなた面白い。オペラの衣装デザインができるんじゃない?”。作品はモーツァルトの『魔笛』でした」
この出会いが舞台衣装を創るきっかけ。1991年のことだった。
以降、ルーマニア、ドイツ、ポーランドのシェイクスピア祭に招聘され、その後、ロシアやアメリカでも衣装展を開催。また太鼓芸能集団「鼓童」の衣装など、国内外の舞台で高い評価を得ている。
体が欲するものを食す
少年時代、住み込みの女性店員が10人ほどいた。朝食は彼女たちと一緒に摂る、蜂蜜を塗ったバタートーストが決まりだった。
「その蜂蜜は、叔父が定期的に届けてくれたのを覚えています。風邪をひいても、母が蜂蜜を食べさせてくれた。蜂蜜が高価だったこともあり、上京してからは食べられなかった。けれど海外や日本各地を訪れるようになり、その土地ならではの蜂蜜があることを知り、少年の頃の朝食が復活しました」
朝食は簡素で、特別な健康法があるわけでもない。自分の体に問いながら、食べたいものを食す。朝、体が果物を欲すれば、それを追加する。自然体が健康の源である。
オールラウンドアーティストの原点は、“美に力あり”
舞台衣装デザイナー、演出家、パフォーマー(青蓮・TEO)、詩人、写真家と、時広さんの活動の場は広い。オールラウンドアーティストと称される所以だが、なかでも今、演出家として力を注いでいるのが、2010年から始めた『美の種プロジェクト』だ。
「ひと言でいえば、地方の芸術家を地元の人たちの手で育ててほしい。そのお手伝いをするということ。10年目に入りましたが、今まで愛知、京都、神戸、金沢、大阪など11都市で開催してきました」
その他にも宮崎県日向市や椎葉村、徳島県吉野川市、長野県茅野市などでも市民参加のパフォーマンスの構成や演出を手掛けてきた。
また、ドラマティック古事記などの演劇でも活躍。その多彩な活動を貫くものは何なのか。
「“美に力あり”ということです。私は小学6年生の時に“どうしたら美しく生きられるか?”と、母に問うような少年でした」
演技でも科白でも、また舞踊でもない。すべてを衣装に語らせる、独自の“装艶”という表現形式を確立。それもこれも“美に力あり”と信じるが故である。
※この記事は『サライ』本誌2021年8月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 ( 取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆 )