「澄んだ響きに、江戸の人々は“涼しさ”を感じ取ったのではないでしょうか」
風鈴は「風鐸(ふうたく)」といい、中国で仏堂や仏塔に下げられた魔除けだった。今でも東大寺(奈良)など由緒ある寺院の屋根の四隅には、風鐸が吊るされている。
その後風鐸は、平安貴族によって家の軒にも吊るされるようになり、徐々に、音を楽しむものに変化していく。「風鈴」として定着したのは、江戸時代のことだ。
当初はあまりに高級で高嶺の花だったようだが、だんだんと庶民の間にも広まっていく。
江戸中期になると、荷台に風鈴を吊るし、音で客を集める「風鈴蕎麦」も登場した。
小田原の殿様も愛でる
「ガラス製の風鈴が出回るのは、江戸時代もかなり後になってから。風鈴といえば金属製だったようです」
と、今も金属製の風鈴を作る、鋳物師(いもじ)の柏木照之さん。
「風鈴の澄んだ響きに、江戸の人々は“涼しさ”を感じ取ったのではないでしょうか」
柏木さんは、小田原(神奈川)の鋳物の伝統を、唯一受け継ぐ鋳物師だ。
小田原の鋳物の歴史は古く、少なくとも室町時代から盛んだったと、江戸の書物『新編相模国風土記稿』にある。小田原市の旧町名「鍋町(なべちょう)」が、鋳物の拠点があった名残だ。
「東海道の大きな宿場町だったこともあって、江戸時代の小田原は、関東圏で随一の鋳物の産地として知られていました」
柏木さんの家は、江戸時代より代々続く鋳物師の家系だ。
「柏木家は、老中の大久保忠朝が佐倉藩(千葉)から小田原藩へ国替えになったときに、一緒に移ってきたようです」
江戸の当時は藩主の国替えにあわせ、お抱えの職人を移住させるのが常だった。
「ふいごから送風機へと代わりましたが、いまでも炉を使った根本的な作り方、仕組みは、江戸時代のままです」
柏木家には、最高級の「砂張御殿風鈴」を毎年、藩主に献上していたと伝わる。音色を聞くと、いつまでも続く余韻の美しさが尋常ではない。この余韻を求めて、仏具の「おりん」としても人気なのだという。
「砂張(さはり)」とは、銅合金のひとつだ。銅に錫などを配合し、溶かして固める。配合の加減によって、音が変わる。職人の腕の見せ所だと柏木さんはいう。
「砂張 御殿風鈴」を作る工程。
「鉄製や真鍮製は落としても平気ですが、砂張は繊細で割れてしまいます。その分、加工も非常に難しい。しかしこれほどの余韻の長さは、砂張にしか出せませんね。使い続けていくと音が良くなるのも、砂張の風鈴の特徴です」
●柏木美術鋳物研究所
神奈川県小田原市中町3-1-22
電話:0465・22・4328
営業時間:9時~17時
定休日:第2・4・5土曜、日曜、祝日
交通:JR・小田急線小田原駅から徒歩約15分
街かど博物館「砂張ギャラリー鳴物館」を併設、音色を試せる。販売も行なう。
ウェブサイト:http://www.k-imono.com
Amazon 柏木美術鋳物研究所
※この記事は『サライ』本誌2021年8月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 ( 取材・文/角山祥道 撮影/宮地 工 )