〈今日、ショーウィンドウを見たら、マネキンが水着着てた。もう夏なんだね〉
春から夏へ、季節の変化を観察した表現から『万葉集』の有名な和歌に話題は飛ぶ。
〈春過ぎて 夏来たるらし白たへの 衣干したり 天の香具山〉
『万葉集』所収の持統天皇御製だが、万葉学者で國學院大學文学部特任教授を務める上野誠教授は、新著『教会と千歳飴 日本文化、知恵の創造力』の中で、こう訳す。
〈春が過ぎて夏がやって来たらしいぞ。ほら、天の香具山に真っ白な衣が干してあるから――〉
わかりやすくて親しみやすい授業に定評のある上野教授らしい表現だ。同書の解説は続く。
〈この持統天皇の御製歌について、季節の推移を詠った最初の歌であるとか、背後の新緑の香具山を思い浮かべると青と白のコントラストが鮮やかだとか、国語の先生は、いろいろと教えてくれるが、私たちが、ほんとうにこの歌の世界を生活実感として自分のものにしようと思えば、ショーウィンドウの水着などを想起するしかない〉
和歌を読み解く上で生活実感は欠かせない。長らく奈良で教鞭をとっていた上野教授は、
「551の豚まんのコマーシャルが、551のアイスキャンディのコマーシャルに変わった時だ、その感覚で鑑賞せよ」と教えていたという。そして、こう締めくくる。
〈さて、この歌を紙に書くとしよう。字など、どんなに下手でもかまわない。それを表装して、床の間に飾ると、その書も芸術になるのである。床の間に飾れば――〉
床の間は日本家屋の芸術文化センター
床の間とは来客を遇する客間など、日本家屋の中でも格式の高い部屋にもうけられた一段高い空間やその部屋のこと。正月飾りや掛け軸、美術品などをしつらえるために用いられることが多い。上野教授は、この床の間を、「日本家屋の芸術文化センター」と呼ぶ。
では、由緒正しいお屋敷や高級料亭に招かれ、床の間を鑑賞する機会を与えられたら、どのように振舞えば良いのか? 『教会と千歳飴』での上野教授の回答は明快だ。
〈まずは床の間にあるものをじっくり見ればよいのである。何もわからなければ、何も言わない方がよい。一見して、「はぁ」とため息をついていれば、よいのである。すると主人の方から、懇切丁寧に説明してくれるものである。もし古美術に詳しくても、余計なことは、言わない方がよい。主人の側に、あまりに知識がない場合もあるし、うっかりと主人のプライドを傷つけてしまうこともあるからだ。そういう時には、こう言うに限るのだ。
「何も、わかりませんが、心が洗われます。眼福です。すばらしいものを見せてもらいました」
「何もわかりません」が基本であることをお忘れなく。主人が好意で飾ってくれるものを「とやかく」言うのは、失礼千万な話である――〉
ため息をついていればいい……身近なものから日本の歴史や伝統を掘り下げていく含蓄ある話の中で、思わずくすっとしてしまうところもまた上野教授らしい軽妙なタッチゆえだ。
高尚に感じられる『万葉集』も、当時の人からしたら当たり前の日常の1コマを歌に詠んだに過ぎない。現代と万葉の時代をぐっと身近に引き寄せてくれる力が、上野教授の語りにはある。
上野誠(うえの・まこと)/1960年福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。奈良大学教授を経て、2021年4月より國學院大學文学部教授(特別選任)。研究テーマは、万葉挽歌の史的研究と万葉文化論。日本民俗学会研究奨励賞、上代文学会賞、角川財団学芸賞などを受賞。『折口信夫 魂の古代学』『万葉文化論』『日本人にとって聖なるものとは何か――神と自然の古代学』『万葉集講義 最古の歌集の素顔』『万葉学者、墓をしまい母を送る』など著書多数。
『教会と千歳飴 日本文化、知恵の創造力』