小学生の頃から、日本の朝ごはんイコール納豆。それは少年が売りに来る思い出の味。尼寺に暮らす今も、朝は納豆だ。

【西井香春さんの定番・朝めし自慢(日本の場合)】

前列左から時計回りに、黄湯葉ご飯、焼き厚揚げ(おろし生姜)、納豆( 芥 子・醤油・大葉・茗荷)、味噌汁(大根・豆苗)。黄湯葉ご飯は黄菊ご飯に替わることも。厚揚げは弱火で外はカリカリに、中はフックラと焼く。
朝4時には起床。「精進料理の予約が入っている日は、電話などで邪魔されない早朝にごまを擂るなど、下ごしらえをすませます」と西井香春さん。朝食はその後、6時頃だ。

【西井香春さんの定番・朝めし自慢(パリの“おめざ”)】

前列右から時計回りに、紅茶、イチゴジャム、フランスパン。ジャムの中ではイチゴジャム、それもイチゴが丸ごと残っているのが好物だ。
昭和35年、16歳でフランス・パリに渡った頃。週末はパリ郊外で過ごすことが多かった。「食事、特に乳製品が美味しくて、たちまち10kgも太ってしまった」と西井さん。

東京・小金井市に『臨済宗 泰元山 三光院』という尼寺がある。ここに伝わるのが、竹之御所流精進料理である。料理長を務める西井香春さんが語る。

「竹之御所流精進料理とは、京都・嵯峨野にある竹之御所と呼ばれる尼門跡寺院・曇華院に、室町時代から伝わる料理です」

それを武蔵野の地に根付かせたのが、曇華院から招かれた先代住職の祖栄禅尼。以来80余年、現住職の香栄禅尼(89歳)へと守り継がれてきたが、西井さんはその後継者に認められ、住職から“香春”の名を賜ったという。54歳の時である。だが、一貫して精進料理に携わってきたわけではない。

竹之御所流精進料理を伝える『臨済宗三光』は、昭和9年の創建。武蔵野の面影を今に残し、四季折々の自然が楽しめる。
住所:東京都小金井市本町3-1-36 電話:042・381・1116

横浜に育ったが、14歳で母を亡くし、16歳で従妹(女優の岸惠子さん)を頼って渡仏。「ル・コルドン・ブルー」などでフランス料理を学び、40歳で帰国した。以降は本名・西井郁(あや)の名で、東京・六本木でフランス料理の教室を主宰し、フランス料理研究家として雑誌やテレビでも活躍。けれどその頃、ある思いが芽生えていた。

「10代でフランスに渡った私は、日本のことは何も知らない。40代になって、次は日本文化としての料理を学びたいと思いました」

そこでたどり着いたのが、三光院である。内弟子として香栄禅尼より一対一の指導を受け、四半世紀を経た今、竹之御所流精進料理の3代目料理長となったのである。

コックコートで、住職・星野香栄禅尼66歳の誕生日を祝う西井さん。和紙のコック帽はご住職の手作りだ。香栄禅尼は型破りの自由人で、精進料理の他にも多くを学んだ。西井さん50代の頃。

葱は禁忌の精進料理

精進料理を作ることを生業とする人の朝食は、やはり精進か──。

「私にとって、朝食イコール納豆。“ナットナット、ナットー”の売り声を今も覚えているわ」

それは昭和20年代、小学生の頃の朝の記憶。毎朝、少年が納豆に葱や芥子、海苔などの薬味一式を入れた箱を首からぶら下げて売りにきた。その少年に会いたい一心で、毎朝、納豆を買ったという。

「けれど、精進料理では匂いの強い葱は禁忌だから、今、納豆の薬味は大葉や茗荷ね」

一方、10代から30代を過ごしたフランス・パリでは、ベッドで摂る“おめざ”が朝食代わりだった。

「夕食は舞台や映画を観た後に摂るから真夜中近く。だから朝はいつも軽く、おめざ程度でした」

納豆もおめざも、思い出の味だ。

帰国後、西井郁の名前でフランス料理研究家として活躍。いち早くハーブを日本に紹介したひとりで、著書に右から『ハーブの家庭料理』『西井郁のハーブ料理』があり、その他『家庭でつくる軽やかフランス料理』などの著書も。

“作務禅”という言葉通り、料理を作るのも修行のひとつ

禅寺ではごまを擂るのも修行のひとつ。ごま豆腐のごまは、練って、練って、練り上げて照りと弾力を出す。これを習得するのに10年は要するという。「両手の指に血まめができるほど真剣に作らなければ、照りも腰の強さも生まれません」と、西井さんはいう。

香栄禅尼は傘寿を迎えた頃から体の自由がききづらくなり、三光院の厨房は西井さんに委ねられた。

「竹之御所流精進料理は宮中の雅な料理に、禅院らしい創意工夫が加えられた尼寺料理です。その始まりが仏門に帰依した姫君のための料理だけに、どことなく愛らしい。加えて、素材のもつ味、香り、食感、色合いを生かしきる。これが三光院の精進料理です」

三光院で供される精進料理は月替わりの献立だが、ごま豆腐(右)と大和芋の海苔巻きは一年を通して定番。ごま豆腐は豆腐と名前がついているが、大豆は使わず、葛粉で固めたもの。大和芋の海苔巻きは尼門跡寺院らしい可愛らしさがある。

味の基本は日本料理の五味──甘(かん)・酸(さん)・辛(しん)・苦(く)・鹹(かん)(塩辛いこと)に、淡味を加えた六味である。この淡味とは、食べ終わった後に清々しさが感じられるということで、竹之御所流精進料理の神髄だ。その基本を受け継ぎながら、“香栄とう富”などの新たなメニューも開発されている。

「香栄とう富」は、香栄禅尼が極めた豆腐の燻製で、取り寄せもできる。西京味噌の優しい味わいに、さくらの木の薫香をまとった豆腐で、沖縄の豆腐ようや中国の豆腐乳(トウフールー)と並ぶ豆腐の珍味だ(110g、1200円。税込み)。

禅宗には“ 作務禅”という修行がある。料理を作ることも、すなわち修行だというのだ。これからも西井さんの修行の日々は続く。

三光院本堂奥の十月堂で、竹之御所流精進料理が味わえる。昼のみで完全電話予約制(電話;042・381・1116)。一汁五菜、一汁六菜、一汁七菜の3コースから選ぶことができる。

取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆

※この記事は『サライ』本誌2020年10月号より転載しました。

 

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