私の長寿の信条 3か条
一、 日々、「好きなこと」に生きる。
一、 思い立ったら夜中でも絵筆を執る。
一、 「生きている限り描きたい」という情熱。
「いつ絵を描くかですって? 時間は決まっていません。描きたくなったらいつでも、夜中だってゴソゴソ起き出して、絵筆を執ります。休み休みですが、今でも1日10時間、絵に向かっていることもあります」
こう語るのは入江一子さん。104歳の現役の洋画家だ。現在はアトリエも兼ねている私設美術館「入江一子シルクロード記念館」で向き合うのは、100号、200号といった、自分の身長をはるかに超えるキャンバスである。
「私にとって、生きていくことは絵を描くことですから」
絵を描いているところを覗かせてもらったが、その表情は、幸福感に満ちていた。
振り返ると、物心ついた時から、絵が好きだったという。
「おやつにリンゴをもらうでしょ? 私はすぐに食べません。まず絵に描きたいと思ってしまう。小学生の頃は、1日1枚、絵を描いていました」
父親が貿易商をやっていたこともあり、現在の韓国の大邱(テグ)に居を構えていた。絵画好きの少女は、その頃から話題で、小学6年生の時に描いた静物画は、昭和天皇即位の御大典の奉納画に選ばれ、現地の新聞で大々的に取り上げられた。その後も絵を描き続けた一子さんは、絵を学ぶために女子美術専門学校(現 ・女子美術大学)に入学する。この時初めて、日本の地を踏む。在学中に二・二六事件が起きるなど、戦時色は強くなりつつあったが、学び終えた一子さんは大邱へと戻る。在学中に独立美術展に入選するなど注目を集めていた一子さんは、なんと旧満州(現・中国東北部)のハルピンとチチハルで個展を開くことに。若き女性が単身で個展の巡回をする、といういわば大冒険であった。
この時、一子さんは、チチハルの大河嫩江(のんこう)で、一生忘れられない景色に出会う。
「川面は血を流したように夕日で真っ赤に染まっていました。この風景を前に、私は何もできませんでした」
その後も、「この夕日を描きたい」という思いはなくならなかった。結実したのは、35年後のことだ。
57歳で訪れたトルコのイスタンブール。早朝、真っ赤になったホテルの窓に火事かと飛び起きた。窓の向こうには、深紅に染まったボスポラスの湾があった。嫩江の紅い夕日の衝撃と、イスタンブールの朝日が重なった(のちにこの日の風景は、『イスタンブールの朝焼け』という作品となる)。
イスタンブールはかつてのシルクロードの西の終点である。始点の中国からイスタンブールへ。一子さんは突き動かされるように、シルクロードの旅を始める。アフガニスタン、ブータン……。訪れた国は30数か国。旅は84歳まで続いた。
光と色彩と
今、描いているのは、ヒマラヤ山脈にほど近いインドのラダック。『ラダック ゴンパへの道』という200号の大作だ。ゴンパとはチベット仏教の寺院のことだ。
シルクロードでの写生旅行で描いたデッサン(水彩画)を基に、大作へと仕上げる。
「絵を描く時は、現地で手に入れた民族音楽や現地で録音した街の音を流したり、現地の民族衣装を身に纏ったりすることもあります。一心不乱に描いていますと、その時に感じた空気までも思い出されます。その時に見た色や光に包まれるのです。ええ、気持ちも若返りますね」
一子さんはシルクロードで見た景色や花、そこで出会った人々や祭りをモチーフにしてきた。共通しているのは、その強烈な色彩と「光が見えているのではないか」と評される光の美しさだ(上写真、101歳で描いた『追想フラワーショップ』の光は、光を描いた代表作だ)。
「光と色彩を求めて、シルクロードを旅してきました。今でも、それを追い求めています」
「好きなことがあるから、一日一日を大事にできる」
今、入江一子さんは、ひとりで暮らしている。ヘルパーやお手伝いさんの手を借りることはあるが、たいていのことは自分でしてしまう。
食欲も旺盛で、朝鮮半島育ちのせいかキムチなどの辛い物好き。辛みが特徴のタイ料理のトムヤムクンスープも好物だ。
食事以外の時間は、そのほとんどが絵に捧げられている。いまだに「絵に対する新しい発見がある」というから驚きだ。
1時間集中して絵を描いたら、ベッドに横たわってしばし就寝。目が覚めたらまた絵筆を執る。
「目が覚めたら、朝か夜かわからないことがある」と笑うが、「好きなこと」に対して忠実であることが、一子さんのいきいきとした生活を生み出している。好きな絵があるから、一日一日を大事にすることができる。小さな頃からまったく変わらない、一子さんの「思い」だ。
日常生活以外でも、一子さんは自分の思いに逆らわない。
93歳の時に、アメリカ・ニューヨークでの個展を成功させた際は、内外で大きな話題となったが、実は周囲は、一子さんの渡米に強く反対していた。
「個展を開く年に、圧迫骨折をしてしまったんです。治ったとはいえ、身内として、やはり海外渡航は心配です。“本人が行かなくてもいいんじゃないか”と説得したのですが、“やろうと思ってできないことはない”と強く反論されてしまいまして」
と苦笑いするのは、長男の潔さん(72歳)だ。
当の本人は渡米を大変なことだとは思っていなかった。
「女子美を出た後、満州で個展を開いたといったでしょ? あの時もひとりでハルピンやチチハルに出向きました。ハルピンからチチハルへ列車で向かったのですが、どう行っていいのか、よくわかっていなかった。しかるべき駅で乗り換えなければ、ソ連に行ってしまうところでした。昭和16年、太平洋戦争開戦の直前のことですから、間違ってソ連に行っていたらどうなっていたことか。しかし親切な人に教わり、無事にチチハルに到着できました。その時のことを思えば、ニューヨークに行くことなんて、大変なことはひとつもありません」
一子さんに今後のことを尋ねると、力強い返答があった。
「生きている限り、描いていたい」
入江一子(いりえ・かずこ) 大正5年5月15日、現・韓国の大邱(テグ)生まれ。大邱公立高等女学校卒業後、女子美術専門学校(現・女子美術大学)で学ぶ。卒業後、林武画伯に師事。独立美術協会会員、女流画家協会会員。53歳よりシルクロードをテーマに創作を続け、訪れた国は30数か国におよぶ。平成25年、第1回女子美栄誉賞受賞。著書に『101歳の教科書 シルクロードに魅せられて』など。
撮影協力/入江一子シルクロード記念館