「今こそ歌うべきは、唱歌や昭和の歌謡です」
小学校から英語やプログラミングを学ばせ、情緒教育をないがしろにする日本。このまま日本の美的感受性は失われてしまうのか。本誌好評連載の「詩歌の品格」新書化を機に、「歌で情緒を取り戻そう」と藤原正彦さんは説く。
なぜ私たちは唱歌を聴くと心揺さぶられ、昔の歌謡曲に涙が滲むのか。本誌連載「詩歌(うた)の品格」でお馴 染みの藤原正彦さんは、その理由を「日本人の情緒」に求める。
「わが家の息子は、昭和50年代、60年代の生まれなのですが、3人が3人とも、昭和50年にヒットしたイルカの『なごり雪』を今耳にして、“いい歌だなあ”としみじみ口にしていました。情緒によって、自分が知らなかった歌も、その良さが理解できるのです」
藤原さんは、日本の詩歌に共通するものとして、「もののあわれ」をあげる。
「日本の詩歌には、どの歌にも、『源氏物語』以来の“もののあわれ”が滲んでいるんですね。これは、私だけが思っていることではありません。
フランスに、レヴィ=ストロースという20世紀を代表する文化人類学者がいますが、彼はそれまで、西洋音楽以外に心揺さぶられたことがなかった、というんですね。ところが、日本の音楽を聴いて、いっぺんに虜になった。その理由を、“平安文学の「もののあわれ」が音楽でも表現されている”とエッセイに書いているんです。“もののあわれ”とは、美的感受性のことです。秋になれば紅葉の美しさに見とれ、冬になればその静謐さを楽しむ。『ハーパーズ』というアメリカの有名な女性誌は1950年頃でしたが、アメリカは日本を降伏させたが美的感受性ではとても敵わない、と論じました。
たとえば、“地味”という概念は、日本独自のもので、世界で抜きん出た感性と評価したのです。こうした美的感受性が失われたら、もはや日本は、日本ではなくなってしまうでしょう」
3世代で歌い継ぐ
藤原さんは、今の日本人の情緒に危機感を覚えている。文科省は、小学生から英語を学ばせ、紙の教科書もなくす方向だという。「日本語」に込められた情緒、「本を読む」ということで培われる教養が、なくなろうとしているのだ。
「だからこそ、歌なのです。祖父母が口ずさんでいた歌、父母が唱和していた歌、こうした歌を取り戻さねばなりません。3世代で同じ歌を口にして、しみじみと“もののあわれ”を味わうことが必要です」
藤原さんには、父母それぞれの思い出の曲がある。
「『青葉の笛』は、『平家物語』を歌にした文部省唱歌です。平敦盛の最期は何度聴いても涙を誘います。この歌は、明治中期生まれの祖母が尋常小学校唱歌として歌ったもので、それを母も歌い、私も歌った。3世代が歌で繋がったのです。歌で情緒が守り継がれている。もちろん今は、拝金主義の世の中です。“もののあわれで金が儲かるのか”と批判する人もいるでしょう。でもお金では、内面は豊かになりません。お金が悲しみをなぐさめてくれますか?」
暗闇の中の灯り
歌はいつの世も、人々を勇気づの役目を負うのではない。たとえば太平洋戦争中、前線の兵士を慰めたのは、悲しいメロディ『湖畔の宿』だったと、藤原さんはいう。
「歌は、無限の暗闇の中で光る、一瞬の閃光です。希望の灯(あか)りです。悲しみの中で、悲しい曲を聴くから、さあがんばろうと思える。歌で涙を流し、前へと進む。まさに歌は人生の応援歌ですね」
人生の応援歌ばかり集めた本誌連載の「詩歌の品格」が、読者からの熱いリクエストを受けて、このたび新書となった。
「本当は、いい歌は、独り占めしたいのですが、それも大人げないので、みなさんと分かち合うことにしました」(笑)
藤原正彦
昭和18年(1943)、旧満州新京(現・吉林省長春)に、いずれも作家の新田次郎、藤原てい夫妻の次男として生まれる。数学者。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。お茶の水女子大学名誉教授。名エッセイストとしても知られ、昭和52年(1977)、『若き数学者のアメリカ』で、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞 。
『わが人生の応援歌(エール) 日本人の情緒を育んだ名曲たち』 藤原正彦著
※この記事は『サライ』本誌2020年12月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。( 取材・文/角山祥道 撮影/太田真三 写真提供/共同通信社)