文 /小林幸子
小林幸子の「幸」を招くルール
ファン歴50年以上の方はもとより、若者やネットユーザーからも「ラスボス」と称され、幅広い層に圧倒的な人気を持つ小林幸子さん。小林さんの「今が楽しい、自分らしい人生」をおくるための秘訣とは? 齢を重ねるたび、元気と勇気、パワーを増し続ける、ラスボス流「言葉の魔法」を初披露!
ラスボスは何度も進化する
知識やテクニックだけじゃない。大切なのは“志”が立派かどうか。次々と未知の世界の扉を開けて新たなことに挑む、その原動力はどこにあるのか。そして、進化を重ね続ける秘訣とは?
ルール16
振り返ってみると、人生、本当にいい時ばかりじゃありませんよね。でも、辛いことのほうが多かったかと聞かれれば、絶対にそうではありません。
もちろん、泣きたいこともありました。でもそんな中にも、楽しいことは必ずあるものなんです。
逆に言えば、周りから幸せそうに見えていたって、当の本人には辛いことだってある。皆さんもそうじゃないでしょうか。
10年近く前の事務所トラブルの時も、「辛くなかった」と言えば、正直、噓になります。
スタッフの退社をめぐり、一時、マスコミから激しいバッシングを受けるなど、ちょっとした騒動になりました。マスコミの風当たりは強く、所属していたレコード会社からの新曲リリースも保留となりました。「CDを出せない」というのは、歌手にとって死亡宣告を受けたようなものですから、その時は絶望のどん底。にっちもさっちもいかなくなりました。
それでも、さだ兄(さだまさし)に新曲を作ってもらったり、インディーズレーベルを立ち上げたりと、何とかこの窮地を脱することができました。
2011年の出場を最後に、紅白からも遠ざかっていたのですが、2015年に『千本桜』で特別出演を果たします。4年振りのことでした。
その時、オヤジさんから(北島三郎さんのことをこう呼ばせてもらっているのですが)こう言われたんです。
「なあ、幸子。いろんなことがあったけど、この3年間は道草してたと思え。道草ってなあ、楽しいぞ」
本当にそうだよなァ。
オヤジさんの言葉は、胸に染みました。
『おもいで酒』がヒットして以降、私は舗装された高速道路を無自覚に走ってきました。そしてここから見える風景だけがすべてだと思っていました。
デコボコ道を切り拓く面白さ
でも、突然、高速道路から降りることを余儀なくされてしまい、私は未舗装のデコボコ道を進まざるを得なくなりました。
ハンドルを握るのも大変。寄り道に回り道、時間もかかります。
ところが、ふと冷静になって周囲の風景を眺めてみると、これが素敵なんです。
えっ、こんな美しい場所があったの? と、この歳になって知った。
高速道路を降りなければ気づかなかったことです。たしかにお膳立てされた高速道路は走りやすいし、時間もかからないけれど、目に入る景色はいつも一緒。安定しているけれど、驚きはありません。
下の道は、デコボコだけれど、驚きの連続でした。そして何より、「自分で切り拓いていく」という面白さがありました。
しかも、この寄り道のおかげで、私はたくさんの人に出会えたし、たくさんの経験ができた。オヤジさんはわかっていた。人生の寄り道や道草が決して無駄じゃないことを。
「ひとつ、いつもと違う角を曲がればそれはもう旅の始まり」
これは尊敬する永六輔さんの言葉。ようやく、この言葉の意味を実感しています。
高速道路を走っていれば、角はありません。高速を降りたことで、私は初めて角を見つけた。角を自由に曲がる面白さを発見した。で、曲がってみる。寄り道です。でもここから新しい旅が始まる。
これってワクワクしません?
一、未舗装の“デコボコ道”の周囲にも、美しい風景がある
一、いつもと違う角を曲がればそれはもう旅の始まり
小林幸子(こばやしさちこ)
1953年、新潟県生まれ。64年、『ウソツキ鴎』で歌手デビュー。その後、長く低迷期が続いたが、79年、『おもいで酒』が200万枚を超える大ヒットとなり、日本レコード大賞最優秀歌唱賞をはじめ数々の賞を受賞。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。以来、34回出場し、その「豪華衣装」が大晦日の風物詩と謳われる。近年は、若者やネットユーザーの間で、「ラスボス」と称されるようになり、ニコニコ動画への「ボカロ曲」の投稿やアニメ『ポケットモンスター』の主題歌を歌うなどして、“神曲”を連発している。
ラスボスの伝言
~小林幸子の「幸」を招く20のルール~