文 /小林幸子
小林幸子の「幸」を招くルール
ファン歴50年以上の方はもとより、若者やネットユーザーからも「ラスボス」と称され、幅広い層に圧倒的な人気を持つ小林幸子さん。
小林さんの「今が楽しい、自分らしい人生」をおくるための秘訣とは?
齢を重ねるたび、元気と勇気、パワーを増し続ける、ラスボス流「言葉の魔法」を初披露!
ラスボスは何度も進化する
知識やテクニックだけじゃない。大切なのは“志”が立派かどうか。次々と未知の世界の扉を開けて新たなことに挑む、その原動力はどこにあるのか。そして、進化を重ね続ける秘訣とは?
ルール15
若い人を見ていると、「聞き分けがいいな」と思います。抗ったり、闘ったりすることより、「何も起こらない平安」を求めているような気がします。「あきらめの境地」なのかもしれませんが、もったいない!
皆もっと、もがきながら生きてもいいんじゃないかしら。これは年齢に関係なく、何かにあきらめかけている50代、60代、70代も同じだと思います。あきらめたら人生はその時点で動かなくなってしまう。動きがない人生は、やっぱり面白くありません。
私は山あり谷ありの波瀾万丈な人生を送ってきましたが、何も好き好んでそうしていたわけではありません。
10歳で歌手デビューしたのも、そのあと15年間、売れない時代が続いたのも、自分で選び取ったというよりは、どうしようもなくそうなってしまった。
幸せもあれば、不幸もあります。
それは仕方がないことなんだけど、不幸に慣れてしまうと、人生に抗うことをやめてしまう自分がいるんです。
先の伊東のハトヤホテルでのショーの最中のことです。
ショーは元旦から2か月間、続いていました。『おもいで酒』のリリースは、その年の1月25日でした。私にとって28枚目のシングルです。
出せども出せども売れない日々が続いていたので、そのことに慣れっこになっていました。いっそのこと、レコード歌手をやめて、踊りやお芝居を極めて、舞台を中心にやっていこうかとすら、思い始めていました。
そんな折、「有線でちょっとずつチャートに上がってきているから、キャンペーンをやりましょう」とレコード会社の人が言ってきたんです。
1964年、10歳の時に古賀政男先生作曲の『ウソツキ鴎』でデビューし、幸先よく20万枚のヒットとなりましたが、そのあとはさっぱり売れず。
新曲を出すたび、地方のレコード店にキャンペーンに行くのですが、集まってもせいぜい20人程度。しかも歌い終わってレコード即売会が始まると、皆、散っていく。
あとには、事前に配った歌詞カードが捨てられていて……。行くたびに心が折れるので、もうキャンペーンに行くのはウンザリでした。
これ以上、傷つきたくなかった
だから最初はキャンペーンを断りました。「もう嫌です」と。
ところが、そのやりとりを聞いていたダンサーのひとりが、私に言いました。1か月以上、ショーを共にしていた仲間です。
「幸っちゃん、キャンペーンに行っといでよ」
「だって行ったって無駄だよ」
「どうせレコード歌手に見切りをつけるんなら、いっぺん、とことんやんなよ。それで駄目なら本気であきらめられる。“あきらめる”ってことは、何もしないことじゃないよ。“明らかに極める”ってことだから」
私がキャンペーンを嫌がっていたのは、これ以上、傷つきたくないからでした。ところが彼女は、私の「中途半端さ」を見抜いていました。
レコード歌手をやめる覚悟があるなら、中途半端にやめるんじゃなくて、最後は真正面からぶつかって、駄目で元々、ポキッと折れてくればいい。
駄目だったと明らかに極めてからやめればいいじゃない。そう彼女は言うのです。
このひと言で、私の心が本当に軽くなったのを覚えています。この時、背中を押してもらえたからこそ、今の私があると言っても過言ではありません。
一、傷つきたくないだけで中途半端にやめない
一、駄目で元々、ポキッと折れるまでぶつかればいい
小林幸子(こばやしさちこ)
1953年、新潟県生まれ。64年、『ウソツキ鴎』で歌手デビュー。その後、長く低迷期が続いたが、79年、『おもいで酒』が200万枚を超える大ヒットとなり、日本レコード大賞最優秀歌唱賞をはじめ数々の賞を受賞。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。以来、34回出場し、その「豪華衣装」が大晦日の風物詩と謳われる。近年は、若者やネットユーザーの間で、「ラスボス」と称されるようになり、ニコニコ動画への「ボカロ曲」の投稿やアニメ『ポケットモンスター』の主題歌を歌うなどして、“神曲”を連発している。
ラスボスの伝言
~小林幸子の「幸」を招く20のルール~