文 /小林幸子
小林幸子の「幸」を招くルール
ファン歴50年以上の方はもとより、若者やネットユーザーからも「ラスボス」と称され、幅広い層に圧倒的な人気を持つ小林幸子さん。
小林さんの「今が楽しい、自分らしい人生」をおくるための秘訣とは?
齢を重ねるたび、元気と勇気、パワーを増し続ける、ラスボス流「言葉の魔法」を初披露!
ラスボスは何度も進化する
知識やテクニックだけじゃない。大切なのは“志”が立派かどうか。次々と未知の世界の扉を開けて新たなことに挑む、その原動力はどこにあるのか。そして、進化を重ね続ける秘訣とは?
ルール14
「ああしたい」「こうしたい」と思ったって、そう簡単にはいかないもの。でも、たとえそうだとしても、「口に出してみる」ことは、すごく大事だと、私は思っています。
口に出すことは勇気がいることです。
たとえば、「私は○○をする!」と言ったら、できなかった時に、その責任を追及されるかもしれません。やらなければ失敗することもありませんから、失敗を恐れるあまり、「何もしない」「何も言わない」ということを、選んでしまいがちだという人も多いでしょう。
「何もしない」「何も言わない」とはどういうことでしょう?
たとえるなら、風ひとつなく、湖の水面に波が立っていない状態です。
見ている分には、凪いでいる湖はきれいかもしれませんが、それって面白い?
言い方を変えるなら、意見や希望をはっきり口に出せない人は、最終的な結果を考えてしまう。つまり、責任感が強い人なんでしょうね。
でも、始める前から責任なんて考えなくていいと思う。
私なんて、ポンポン口に出してしまうから。口に出すとね、不思議なもので“気”が動くんですよ。
日本では「言霊」といって、言葉にも霊が宿ると考えられています。その霊の持つ力が働いて、言葉に表したことは、現実になると思われているのです。
良い言葉は幸せを招きますし、悪い言葉は不幸を呼びます。
私は実際、「言霊」を実感したことがあります。
1978年の暮れのこと。私は伊東(静岡県)のハトヤホテルにいました。元旦から、宿泊者向けの歌謡ショーをすることになっていたのですが、そのショーに備えた最後の通し稽古をしていました。
楽屋でお化粧直しをしながら、ダンサーの人たちと一緒に、化粧鏡に映るテレビを観ていました。ちょうど、「レコード大賞」の放送が終わったところで、チャンネルをNHKに切り替えました。「紅白歌合戦」です。もちろん、その時の私は、どちらにも縁がありませんでした。
たったひと言でザワザワと波風が立った「来年、私出るから!」
ふいに口をついて出ました。
本当に、よく言ったと思いますよ。紅白どころか、その頃、テレビの歌番組にも呼ばれてなかったんですから。
ダンサーの皆は笑いながら、「そうだね。そしたら私たち、花束持っていくから」と言ってくれました。
この時、いちばん笑っていたのは私です。だって、自分がいちばん、紅白出場を信じていなかったんですから。でも、「レコード大賞」にも、「紅白歌合戦」にも、人一倍出たかったのは私だった……。
それをウケ狙いとはいえ、思い切って口に出したら、何だか笑いたくなっちゃって。
でも今から思うと、このひと言は、凪いでいた湖に投げ込まれた小石だったんでしょうね。このひと言で、ザワザワと波風が立った。
そう、“気”が動いたんです。
実際、ハトヤのショーの最中にリリースされた『おもいで酒』が、有線放送でジワジワと火が付き、ダブルミリオンを達成します。
その勢いで、その年の「レコード大賞」にも、「紅白歌合戦」にも、出場してしまったんですから、言葉、そして言霊とは、やはり不思議なものです。
一、何かを始める前から「責任」なんて考えなくていい
一、ひと言でも口にしてみると“気”が動き出す
小林幸子(こばやしさちこ)
1953年、新潟県生まれ。64年、『ウソツキ鴎』で歌手デビュー。その後、長く低迷期が続いたが、79年、『おもいで酒』が200万枚を超える大ヒットとなり、日本レコード大賞最優秀歌唱賞をはじめ数々の賞を受賞。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。以来、34回出場し、その「豪華衣装」が大晦日の風物詩と謳われる。近年は、若者やネットユーザーの間で、「ラスボス」と称されるようになり、ニコニコ動画への「ボカロ曲」の投稿やアニメ『ポケットモンスター』の主題歌を歌うなどして、“神曲”を連発している。
ラスボスの伝言
~小林幸子の「幸」を招く20のルール~