『Runner』『大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い~』など、サライ読者の青春のワンシーンを彩る楽曲を世に送り出したアーティスト・サンプラザ中野くん。2021年11月にミニアルバム『旅人よ~The Longest Journey』を発表。このインタビューでは、アルバムについてのほか、還暦を迎えてもスリムな体型を保ち、ミュージシャン、ユーチューバー、ラジオパーソナリティなど、精力的に活躍し続けている秘訣を伺った。
イケイケのバブルから、共感の時代になり感じたこと
――バンド・爆風スランプとして1988年に発表した『Runner』が爆発的に大ヒット。あれから、33年が過ぎました。人々の心に寄り添う曲を発表し続けてきたサンプラザ中野くんは、時代の変遷をどのように感じていますか?
イケイケの時代から、共感の時代へと変わっていきましたね。これは、多くの人が感じていると思います。バブルの時は、経済力や生きる力があり、体もメンタルも強靭で成績優秀な人がもてはやされていた時代。また、そういう人をみんなが目指していたのではないでしょうか。
前に進み続ける浮かれている時代……そんな空気もあって、『Runner』や『リゾ・ラバ-resort lovers-』などが受け入れられたのかなとも感じます。
――今、振り返ってみると、その背景には何があったとお考えになりますか?
これは個人的な意見なのですが、第二次世界大戦の影響もあると思うのです。僕が生まれたのは1960年で、あの悲惨な戦争が終わってから15年目のことでした。その頃は日本全体が貧しいだけでなく、戦争への恐怖感が根深く残っていました。東西冷戦もありましたし、命の危険を感じることもあった。そういう時代は、強い人がもてはやされる。そして、そういう時代が長く続きました。
しかし、今は終戦から76年。日本では平和が続き、表面上では命の危機が少なくなったと感じます。もちろん、経済格差や各種のハラスメントなどはありますが、直接的な暴力にさらされることは、ほとんどないともいえます。
その結果、他者の気持ちを思いやれて、配慮でき、相手にも自分にも無理をさせない。そして、人に対して上下をつけることなく、穏やかな人が多くの人の支持を集めるようになっていったと感じています。
――確かに、言われてみるとバブル時代のモテる男性は“三高(高身長・高学歴・高収入)”などと言われていましたし、バブル絶頂期の1989年の新語・流行語大賞に仕事がデキるとか、その持久力を賞賛する「24時間戦えますか」がノミネートされたことを、記憶しています。
それからバブルがはじけて、時代の雰囲気が変わっていきました。力ではなく優しさが、集団ではなく個人が尊重されるようになっていきました。決定的に変わったのは、「Windows95」の登場により、インターネットが爆発的に普及したあたりだと思います。誰もが情報を発信できる時代になりましたからね。
【応援する人・される人が同一のフィールドに存在する時代。次ページに続きます】