そして雪深い新潟県の妙高山麓にも、同じような風習がある。この地方でも正月は、餅も食べるが、蕎麦も食べる。山で獲ったヤマドリの肉を入れた蕎麦が、最も贅沢な御馳走蕎麦となる。
妙高山麓でも、蕎麦は貧しい食べ物であると同時に、神に供える神聖な食物であった。
あまり知られていないことだが妙高山は、室町時代の戦国期(1467から1573頃)には修験者が修行する一大聖地であり、山麓には宝蔵院という寺があった。ここは七堂伽藍、神社僧坊72区を有する大寺院だったが、天正10年(1582)、織田信長軍により焼き払われた。
江戸時代に入って「妙高山雲上寺宝蔵院」の名前で再興し、幕府の庇護のもと、再び隆盛を見たが、この寺院周辺には、信州の戸隠にも匹敵する豊かな蕎麦食文化が存在したと言われている。
寺院に伝えられた古文書には、正月は妙高山麓の有力者が、蕎麦を持参し、こぞって寺に挨拶に行ったことが克明に記録されている。蕎麦は修験者にとって、修行中口にすることを許された命をつなぐ貴重な食料であったが、同時に、寺院の歳時に、蕎麦切りにして味わう贅沢な食品でもあった。
妙高市のすぐ近くが、極上のコシヒカリを産する魚沼であることからわかるように、同地は美味しい農産物が豊富に穫れる地域。また日本海にも近いため、蕎麦以外にも贅沢な食品が多種あった。蕎麦が御馳走として扱われる場所は、会津も妙高もそうだが、米などが豊富に穫れる豊かな土地が多い。
この妙高市には現在も脈々と、往時を偲ばせる蕎麦食文化が受け継がれている。『サライ』2009年12月号で紹介した蕎麦店『こそば亭』では、正月蕎麦の代表、鶏肉を入れた「とりそば」を味わうことができる。
正月に襟を正して日本伝統の蕎麦をいただく。一年の始まりに、ふさわしい風習ではないだろうか。
文・写真/片山虎之介
世界初の蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』編集長。蕎麦好きのカメラマンであり、ライター。著書に『真打ち登場! 霧下蕎麦』『正統の蕎麦屋』『不老長寿の ダッタン蕎麦』(小学館)『ダッタン蕎麦百科』(柴田書店)などがある。